「あ、」

いたの、と声をかける必要もないかな、と口を噤んだ。飲み込んだ「おかえり」は腹の底でぐるぐると渦巻いて消えていく。目を見もせずに私に「仕事、昼休み」と呟いたアルフレッドは、鞄をダイニングに放り投げてソファにどっかりと座り込んだ。リモコンでテレビをつけて、つまらなさそうに唇を尖らせながらチャンネルを回す。どうせお昼ごろなんて面白い番組無いのに、沈黙が痛くてしょうがないんだなぁ、と私は思った。

アイロンをかけていたアルフレッドのワイシャツを、わざとらしく広げて皺を伸ばす。彼は見向きもしない。


「お昼作っておいたよ」
「ああ」
「そこにあるから食べてね」
「うん」

何か言いたそうなアルフレッドを尻目にてきぱきと洗濯物にアイロンをかけていく。

「………ボーナス、入ったんだ」
「そっか、よかったね」
「何処か行くかい?」
「ううん、別にいい」
「そう」

やっぱりね、といわんばかりに首をもたげてリモコンを机の上に放る。けたたましい音と共にテーブルから滑り落ちたリモコンは、電池入れの部分の蓋を吹き飛ばしながら床とキスをした。薄い蓋が大きな音を立ててリモコンの後を追うように落ちていく。はあと溜息を吐いたアルフレッドがしぶしぶとそれを拾い上げ、適当に元の場所に蓋をはめ込んで机に置いた。ちょっと盛り上がっていた。

横目で盗み見る彼はあまりにも不服そうな顔。顔に出る性格だからすぐ分かる。
なにか言いたそうで、でも言う気力がないんだわ、と思いながら、一向に食事に手をつける様子が無いのでキッチンから持ってきてあげた。
ベークドビーンズだけどいい?って首を傾げると、表情を返ることなくこくりと頷くアルフレッド。
少し豆を多めに盛り付けたけれど、この様子じゃ残しそうだ。


しばらくして手を付け出した彼を見ながら「美味しい?」と聞くと、これまた彫刻面で頷かれた。
胸の上あたりがきゅうと締め付けられるこの気持ちは、小さな男の子が拗ねている姿を見たときと同じ感覚だ。
口元の筋肉が弛緩するのを我慢して、黙々と食べている様子を眺めやった。


「コーヒー飲む?」
「いや、いらないよ」
「そう」
「君は食べたの?」
「もう食べたよ」

少しの間私を見つめて、それからはっとしたようにベークドビーンズに目を戻す。
きっと、一緒に食べたかったのだろう。だけどそれが言えないのは自分の口が動かないからで、それを本人も不思議がっているはずだ。この現象は前にもあったことではない、から。
怠慢するのだ。脳が。

「仕事何時に終わりそうなの?」
「さあ」

ほら。この距離はまさしく倦怠期。
互いに干渉したくない。触れたくない触れられたくない。愛情表現するのも気が向かなくて、でも愛は確かにあって、磁極が同じになったみたいな感覚。
アルフレッドはそれに気付いてない。

可愛いなあ、なんて思う私の方は倦怠期は訪れないらしいけれど、彼がそうなら私もそうなることにしようかな。
私は好きよ、愛してる。だけど彼に今触れたら、いろんなものが壊れちゃうかなって。


「ごちそうさま」

あ、今のは空耳だった。
アルフレッドは普段自分の食べたお皿なんか片付けるわけなかったけど、最近は自分で台所まで持っていく習慣がついていた。きっといろんな面で、「触れたくない」という自覚が滲み出て来ているのかもしれない。
本当に嫌われてしまったら嫌われてしまったで終わるけれど、多分これは回復の見込みがあるんじゃないかなぁ、と考えた。その間にアルフレッドはいそいそとまた仕事に行く支度をし始めている。

アイロンの電気をつけっぱなしだったな、と部屋に戻ると、玄関へ向かうアルフレッドの足がこちらに近付いてくるのが聞こえた。
ひょっこりと顔をだして「行ってくるぞ!キスは!?」と言っていた面影など今は無く、素通り。
私は後を追うように玄関に向かって、ドアを開けようとしていたアルフレッドに笑いかけた。


「いってらっしゃい」
「……うん」
「夕飯はなにがいい?」
「なんでもいいよ」

可愛い可愛いムジカクな倦怠期。
大好きなご飯の選択を破棄してまで、仕事場に向かう変なアルフレッド。
抱きしめてあげたくて、仕方ない。

「じゃあアルの好きなものつくっておくよ」
「そうかい」
「じゃあね」
「ああ」


出て行くアルフレッドの「まって」裾を掴んで「え、なに」振り向きざまの頬

晒されたその肌に、くちびるをおとした。

「はやくかえってきてね」

可愛い可愛いムジカクな倦怠期。
すかさず口付けられた箇所に手を添えて驚愕に目を見開く、変なアルフレッド。
抱きしめてあげたくて、仕方ない。

彼は心底不思議そうな、理解し難いといった顔をしながら頬をさすってこちらを向いたまま歩き出した。
私は何事も無かったかのように彼に手を振った。




頬を緩めるのは、彼が前を向いたらにしよう。




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