布団から出ようとしたを抱き寄せた。細っこい腕をぐいと引くと「まぶっ!!」勢い良く俺の元へ返ってくる。頬をベッドに打ち付けて少しバウンドしながらの帰還となったは、少し不満そうに俺を見上げて眉をしかめた。
物が動いた所為で空気も動いて、わずかな冷気が頬骨を滑っていく。まだ冷えるこの時期だから、産毛がさわさわと寒さに揺れるのが分かった。

外界の空気に触れたの手はもう既に冷え始めていた。冷え性気味な彼女の指を両手で持ってにぎにぎと握ってみた。柔らかい。さわり心地が俺好み、と決め台詞を言うのがいいだろう。
ぷにぷにした指先。丸くて可愛らしい形をしている。
この滑らかな肌に、綺麗な肌に、俺だけの肌に、昨日あいつは触れたんだ。そう考えると、今すぐにでも皮膚を剥がしとって綺麗に洗浄してからまた被せてやりたいと切実に思ってしまう。


「ギル?」
「あんだよ」
「機嫌悪いの?」
「誰の所為だよ」

ギュッと指ごとつぶす勢いで手を握る。痛いと言わないは、代わりに余計に眉をしかめた。不安そうな顔さえ憎たらしく思えてくるほど、感情を剥き出しにしているのが自分でも分かる。

「なんで?」
「分からねえのかよ」
「だって」
言葉にしなくちゃ伝わらないことだってあるじゃん。
「偉そうな口叩きやがって、何だお前」
「なに?なに、どうしたのギルベルト」

抱きしめて顔が見えてしまわないようにした。胸元によせてやればはくすぐったそうに笑って肩をすぼめる。
こっちは大切な話してんのに、というのが分かるように強く抱きしめる。
は「いいいぐうええええぇ」と蛙がつぶれたような声を出して「ギブギブ!」だから、大事な話してるんだって言ってるだろうが!

顔を開放してやって、息を吸っているに問い詰める。
「昨日お前フランシスと何したんだよ」
「え?何って、そりゃあ条約の締結を」
「条約の締結だけかよ」
「あんた隣に居たじゃない。なんでわかんないの」
「分かんねーのはお前のほうだろ!もっぺん何したか言ってみろ」
「だから、条約のていけ「手握り合ってなかったか!」それはあっちが勝手にやってきたんでしょ!」
朝から騒々しいベッドの中。反撃に出てきたの顔が間近で怒鳴り声を上げる。

未だに手を握って指先をぷにぷにしている事に気付いたが、今更やめるのも何なので続行しながら叱責することにした。


そう、昨日はフランシスとちょっとした条約の締結をした。そんでもって俺はその締結に同席した。なんで?って顔で見られてたけど、どうでもよかった。この条約はなかなかが了承してくれなくて、フランシスも困っていたところで。
何度か申し出たあいつについに折れたが締結を頷いたのだ。そしてその日すぐ、そうなることになって。うん。
調印したらフランシスが嬉しさのあまりの手を握って「ありがとう」と笑った。

俺ビジョンではそれが、二人が手を握っているように見えたのです、という話なのだけれど。
どう見ても、そうにしか見えなかったわけで。
大変仲のよさそうなその姿に腹を立てたということである。

それを説明するとは盛大に吹き出して布団の中でじたばたし出した。脛にのかかとが直撃して「あだっつ、ぐあ!!」綺麗に持って行かれた気がする。


「笑ってられるのも今のうちだぞ」
「だ、だって……ぶぶ」
「てめえが誰にでもへらへらしてるのが悪いんだよ」


俺がそんなお前を見てるとき、どういう気持ちだか分かるか?
俺は優しい奴じゃないから殴りたくなる。離れたくなる。冷たくあしらって、誰かに意識を少しでも傾けたことを後悔すれば良いと思う。だけどそれがいけないことだとは思ってない。
思ったって気持ちでどうにかできる問題じゃない。それがどれだけお前を好きでしょうがないってことだかお前は知らない。

「だから」低い声で呟くようにそう喋っていたら、いつのまにかは俺の言葉にしっかりと耳を傾けていた。


「どっか見るな。どっか行くな。周りを見ないで俺だけ見てろ、俺が周りを見ててやる」

は首を横に振った。

「無理。私の事しか見てないギルベルトが私の代わりにまわりを見ていられるわけ無い」
「お前が首をあっちこっちやりすぎなんだよ」
「あんたの首は90度も曲がらないみたいね」
「余計なお世話だよ、360度回転」

手の甲をつねくってやった。少し加減を間違えたのか、は真面目に痛がっていた。
だけど加減が利かなくなるぐらい調子を狂わせるのはこいつだ。俺は何も悪くない。

みたくない。
が、女だろうと男だろうと意識を俺以外に向けていることが気に入らない。
最悪になる。
何かを置き去りにされたようなそんな感覚が俺を包んで苦しくなって、息が出来なくなる。

繋いだ手は確かなのに、伝わる熱は確かなのに、そこに気持ちが無かったら。
顔はこちらに向いているのに、身体はこちらに向いているのに、瞳がこちらへ向けられていないなら。
彼女といることに何の意味もなくなってしまう。
」か細くなっていた俺の声が、無意識にを呼んだ。返事をする代わりに、俺が握っていた手を握り返してくれた。
言葉にしなくちゃ伝わらないのは確かだ。だけどできないことだってある。
その自分の意思が何かの妨げになることを知っているから。
だけど俺は、


「ギルベルト」
それを
「なあだから、だからさ」
の手を握る手に力が篭る。
「お前は俺だけ見てればいいんだよ」
わるいとおもったことはない。
「……ギルベルト」


どうしてそんなに悲しそうな顔するんだろう。俺は別に酷いことを言っているわけじゃないのに。

「どこかへ意識を向けることはすんな」
「ねえギルベルト、聞いて。ギル」
「じゃあ、俺は今からフランシスとが締結した条約をなかったことにしてくる。そうすれば俺だけがお前を見ることが出来る。そんでもってお前も俺しか見られないだろ?」

小動物がおびえるかのような顔で必死に首を横に振る。そんなふうに震えるほど嬉しかったら、もうのためにやってやるしかない。締結は破棄だ。調印もぶっ壊す。無かったことにする。
今すぐ俺がフランシスっつうわけわかんねえ野郎自体を無かったことにしてくる。

ずっと俺が握ってやっていたはずのの手が異様なまでに冷えていることがわかった。手首ごと掴んで頬に当ててやると、ひんやりと熱を奪われる感覚。優しく笑って「冷やすなよ」と指摘すると、は言葉無く枕に目を落とした。


「いまから行ってくるから。じゃあ、朝飯作って待ってろよな」
「えっ…、まって、」
「いい子にしてろよ?」

額にキスした。肩を竦めた。俺はわらった。颯爽と服を着替えて部屋を出る。
ドアが閉まるまでの間、は俯いて何かを零していたようにも見えた。

ああそうだ、俺は何も悪くない。
これはあいつのためだから。




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