部屋の片付けができないのが俺と彼女の共通点だった。

俺が脱ぎ捨てたパーカーの上に横たわって寝たりだとか、自分のスカートを放り投げたりだとかっていうのは日常茶飯事。
それは相手からすればまた同じことで、まあ自分がああだこうだいえる立場ではない。

だけど最近はきっちりと自分のコップも衣服も私物も、どこかに置きっぱなしにされることが無い。
なぜか。それは俺の生活する場に彼女が存在していないからだった。

決別したわけでも、ましてや他界されたわけでもない。ただ単に彼女が「酸欠」とだけ呟いて荷物を持って出て行った。
意味分からなかったから意味を調べてみたけれど、それでも分からなかった。東洋に浮かぶ島特有の「空気」とか「雰囲気」で察せということなんだろうけど、空気なんか吸うもんだからな。


「うーん」


一週間以上の一人生活でなんとなく意味は分かってきた。
多分毎日が平行線状だった二人の関係に嫌気が差したから時間を置くつもりなんだろうって。
俺は互いがあまり干渉しあわない、いい距離を保っていたと思っていたんだけどやっぱりあっちはそうじゃなかった。

先週彼女が買ってきてくれたドーナツの箱、もう食べ終わって中身は空っぽ。鮮やかな背景の側面に描かれたドーナツとイメージキャラクターのウサギが寂しそうに見えた。見えた、けど、片付ける気は起きない。

(あれ片付けたらなぁ、なくなっちゃうしな)

彼女がここにいた形跡が。

もう少しでも多く、頬を撫でてあげられれば。綺麗な黒い髪の毛を掬っていれば。
多分彼女はもう少し多く、笑っていた。毎日自分の周りの空気が回っていた。
ぐるぐると巡る思考の中で滞る自分の気力を感じながら、冷蔵庫から水を取り出す。

手に取ったペットボトルに水はあんまり入っていない。
これから俺が口に入れてしまえば全部なくなって空っぽになる。この部屋と同じように、何も残らない。


「美味しくないぞ」


今までずっと隣にいて、遠慮無しで無意識な空間を維持できると思っていた。だけどそこでしてた呼吸が相手を苦しめていたことは俺も知らなかった。足りなくなって外へ出て行ってしまったのだろうか。
いるのが当たり前だと思っていたから呼吸も上手く出来たけれど、結局俺は今も昔も誰かの隣で呼吸しないと上手くやっていけないのだった。

充電もろくにしてない携帯電話をポケットから引っ張り出して、目当ての電話番号を探す。
番号を打ったほうが早いかもしれないけど、名前を確認して、電話をかけたかった。ストーブも焚いてなかったから指は冷え切って、上手にボタンを押せない。

携帯電話に耳を押し当てて声を探り当てるように、意識を研ぎ澄ます。
コールを6回聞いてから、彼女は電話に出た。案外普通の声で「もしもし」と電話の受け答えをした。


「ひさしぶり」
『…ほんと』
「酸欠治ったかい?」
『…………………まだだけど』

俺も今丁度酸欠なんだよ。

「だろうねえ!君の酸欠を治せるのって俺だけだろ?たぶん」
『大層な自信過剰だね』
「だってそうじゃないか。俺の酸欠を治せるのも、君だけだよ」
『…………』
「頼むよ。君の言ってたこと分かったから、戻ってきてよ」
『いやだよ』

苦しかったなら俺の息をあげるから、はやく俺にも君の息をくれよ。

そう小さく呟いたら、電話は切れた。
悔しかった。イエスともノーともいわない「電話を切る」というだけの行為に曖昧にされて、余計もやもやした。
それでも拒絶にはとれない。肯定にも取れない。だけど、待つしかないと思った。

窒息してしまいそうだって顔をしていた彼女を思い出して唇を噛む。あのとき自分がそんな顔をさせていなければ、自分も
こんな窒息してしまいそうな感覚には苛まれなかっただろう。


今になって分かるのは彼女が酸素と同じような存在であったことと、自分がそれに依存していたこと。
ごめんと、すまないと、愛してると、どういう言葉を選んで喋らなくてはいけないのか真面目に考えている自分がいる。

希望は無い。だけどインターホンが鳴るまで意識は玄関の方にあった。
どうか呼吸できるようにここに残っていてほしい。


携帯が鳴る。
「あ、なに」
上手く喋れなくてぶっきらぼうになった。
『ドア、開けてよ』
「わか、った」
いたのか、と思いながら玄関へ駆け出す。
ストーブを焚いておけばよかった、自分のもの片付けておけばよかったと彼女を呼び戻すことに成功したことで生まれた余裕がそんな考えを生んだが、今はそれどころではなかった。

ドアノブを捻る。あける。小さな彼女が出て行ったときと同じ荷物を持ってその場に立っている。

「あぁ………」
それだけで肺が満たされるような感覚になった。
「…なに、その安心した顔」
そんなに待ってたの?と寒い風に当たってきた赤い鼻で可愛らしく笑った彼女。

「ごめん。気付かなかったんだ」
「じゃあ気付かないってことがなくなるように今から」

彼女は一歩踏み込んで胸元に近付いてくる。ヒールの音がコンクリートに響いてそれから久しぶりの香り、唇を塞がれる。
冷えた唇が優しく、でも少しがさつに押し当てられた。



「こうやって、息、交換しよう」




おかえり俺の酸素。




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リクエスト 米微糖