赤い唇が無作法に紅茶をすすった。

その様子に辟易することはなくただ、飲み干す姿を目にする。と出の少ない喉仏がわずかに薄い首の皮の下で上下するのが窺えた。がぶ飲みしても、後で味を忘れてしまうというのに。

はあと息を吐いた唇はにんまりと笑って弧を描き、俺の目の前に音を立ててカップを置いた。
次を淹れろ、というサインなのかどうか分からなかったので、取り敢えずその動作にリアクションを起こすことはしなかった。


「ねえアーサー、イヴァンがね、イヴァンが」
「分かったから落ち着け、軍服をきちんと着ろ」


またどこかで殴り合ってきたような汚れた軍服を着たまま俺の家に上がりこんできたは「お茶。紅茶がいいな」なんてどこぞの亭主関白のような態度で椅子に座った。
俺が呼んだのだが、どうしても気に食わないその態度。だけど彼女にそんなことを嗜めればどんな理不尽な怒号が飛んでくるか分からない。

俺はの襟元をしっかり治してやり、ほつれた手袋を指から抜いて捨てる。白い指が露になって、中はやっぱり女なのだと改めて思った。

とんとん、と指で机を叩く音がして顔をあげると、口を噤んだが「もういいでしょ?」とでも言いたげに俺を見つめている。俺の言う事に順応な時はとことん順応だ。


「ケンカしようって」
「またか」
「いいでしょ?」
「駄目に決まってるだろ」
「なんでよ」


決まってるだろ、から始める説教はし飽きていた。だから代わりに溜息を吐いて、紅茶を淹れてやった。
一応礼は言うようだ。ちらりと目を合わせると、は不思議そうに俺を見ていた。理由も説明し飽きたものだし、ジンゴイズムなどギルベルトだけで十分だと思った。
は足を組み替えて前のめりになると、俺の顔を見ながら笑う。


「いいじゃない別に。勝てば報酬がもらえるのよ」
「負ければ奪われるんだぞ」
「どうして自分が関わる勝負事に負けを考えなきゃいけないわけ?」
「お前が傷つくのは見たくない」

取ってつけたように言うのねと面白がるの影には覇気が隠れている。今にも此処を飛び出していきなりイヴァンにでも宣戦布告しそうな勢いだ。それだけはさせないように、彼女の血が静まるまで会話を続けることにした。しかしそわそわしすぎだ。
まるでギルベルトが女になったようだ。

細い髪の毛をくしゅりと握ったはふうと溜息を吐いて退屈そうにその髪の毛を弄び始める。
もとは俺の領地、好き勝手には出来ないはずだったが、いつだったかこんなにも反抗的でささくれてしまった。
やはりそのときもアルフレッドには子育てが下手だと笑われた覚えがある。忌々しい。


「それは別にいいけれど、ねえアーサー。私をとどめておくといつか自分自身に災難が降りかかるわよ」
「反乱でも起こすつもりか?」
「だめ?」
上目遣いだ。使い時があまりにも違いすぎる。
「それは困る」
「でしょう?だったら、おねがいよ」
懇願するような声で放つその要求の裏にあるどす黒い欲望が浅ましい。
どうしてこうも自分の身体を傷つけてまで、戦う必要があるのか俺には分からない。

「ねえだからもっと頂戴。遊具を頂戴」
「遊具、じゃない。あれは殺しの道具だ」
「勝つわ、大丈夫。遊具以上の賠償金を取ってくるもの」
「金の問題じゃない」
「戦わせてよ。ねえ。どうしてよ。反乱起こすわよ」

首を横に振るばかりの俺がつまらないのか、唇を尖らせて紅茶のカップをつついて遠ざける。俺への興味の薄れを現したそれは机の隅にまで追いやられ、揺さぶれば零れ落ちてしまいそうだった。
上手く彼女を扱えない焦燥感が貧乏揺すりへと形を変えて現れる。は机の下の俺の気持ちにも気付かずに気を悪くしたままだ。

「くれないの?おもちゃ」
「……分かったよ。しょうがない奴だな」
「嬉しいわアーサー。大好き」

飛びついてきたからは火薬のにおいしかしなかった。それでどれだけのものを奪ってきたんだ、とは聞けなくて、ただ彼女の頭を撫でるだけ。
髪の毛、随分伸びたな。切ってしまわないと戦闘に支障が出る。


「髪の毛切ったらどうだよ?」
「どうしてよ。いやよここまで伸ばしたのに」
「戦うとき危ないだろ」
「戦場の風に靡く姿が美しいと思わない?」
「そんなことのために髪の毛伸ばしてるのか?」
「ううん違う」
「切れよ」
「いやよ。いや」

一生懸命に拒否するの頭を鷲掴みにすると、犬のように嫌がって必死に首を振った。触らないで欲しいとでも言うかと思ったが、そこまで冷酷じゃなかったみたいだ。
血の気の多いのことだ、どうせこれからも我侭を言い続けるのだろう。命令も聞かないのだ。

「アーサーが長い髪の女の子がすきっていうから伸ばしてるのよ」
「……珍しいな、お前が誰かの意思を自分に維持させるなんて」
「気まぐれ」
「だろうな」

こんな奴に武器と金を与えてのさばらせてしまう俺も俺だと思うが、どうしても心に引っ掛かる必要の無い感情が厭うことを邪魔するのだ。一人にさせたら何をしでかすか分からないと言う心配よりも、一人にさせたくはなかった。他の場所で何を見て、何を知って、どんな風に俺を忘れていくのか想像するのが怖いから。

は紅茶のカップの模様を指の腹で擦りながら、これから思う存分身体を動かせることにわくわくと心を躍らせている。
伸びた髪を揺らして、目が合えば気分がよさそうににこりと笑う。その笑みに純粋さなど微塵も感じられなかった。

髪を掬って毛先に口づける。やわらかい髪の毛だ、形が出来にくい。
誰にも縛られたくないとでも言うように揺れる髪の毛はするりと俺の手から零れ落ちて、の胸元に戻っていく。立ち上がったはいそいそと帰る準備をし始めた。

「帰るのか」
「決まりだもの。今からいくわ」
「……ギルベルトもびっくりだな」
どうして、戦うのか。
「愚問ね」
かかとを床に叩きつけて乾いた音を鳴らしたはその場でくるりと一回転する。ふわりと薫ったヴァニラが脳髄を刺激した。
挑戦的な目。
「好きなの、こういうの」

自分が生きてる実感を味わえるのは、死にそうになってるときだけだから。

そういって背伸びしてきたを抱き締める。豪語していた女の肩は細くて、こんなにも腕にすっぽりと収まってしまうもの、だったなんて誰が思うだろうか。きっとこの事実は、俺しか知らない。
そうであってほしい。


「気をつけろよ」
「負けるわけ無いから大丈夫」
「言うな」
「言うわ」

髪を撫でて、顔を見合わせた。紅茶をすすっていた赤い唇にかじりつこうと口を開くと「いっづ!」つまさきを踏ん付けられて腕ごと退く。バランスを崩して骨盤を椅子の角に強打し、反撃の意志を失った。



「じゃ。やってきます」


はついさっき、紅茶を飲んだはずなんだ。
なのに何故、口から鉄のような臭いがしたのだろう。
「………………………」
考える余地も無かった、は変態だったのだ。
かく言う俺もそんな変態に惚れ込んだ上上手に扱えない、頭の悪い最低の変態だった。



100120