非常に困った。


酔った勢いで託けたデートのプランがまだ何も出来上がっていない。
何故こんな事になったのかと言えば理由は簡単だった。

アルコール大量摂取による記憶の喪失と、その数日後掛かってきた電話。
「あ…ああ明日楽しみにしてる、で、ごわす」些か口調が可笑しかったが、その一言で俺の記憶は全てを甦らせた。俺は大切な人と約束をかわしていたのだ。
しかもデート。デート、デート、男女のお付き合い。俺の苦手とする分野である。はと時計ならまかせて欲しいが。


そんなこんなで電話を切った後、フェリシアーノに相談してみると「そんなのブラブラして、楽しかったらいいじゃん!」とぜんぜん解決できない答えを頂戴した。
俺は羽交い絞めを強制的に頂戴させてやった。


そんなんい考えるほど緻密に計画を立てなくてもは喜んでくれるよと言うが、不安で不安で仕方が無いのだ。女性友達ならともかく、片思いの女性など。
ましてや経験などないものだから、余計に何をしたら良いか分からない。
明日が俺にとって人生最難の日なのだ。好きな女性を誘ったからには責任を持ってエスコートしなくてはならないという自分なりの矜持もある。


だからこそ!





本(マニュアル)に頼るに限る!
















「あ、ここっここここっこここ今晩は」

「ああ」

今にも朝の番鳥とか言われそうな挨拶をする。態々俺の車が家の前まで来るのを待っていてくれたようだ。
水飲み鳥のように規則的に頭を上下させて何度も繰り返し挨拶する。大丈夫なのだろうか。


いつもより華やかな服装で着飾るを見て少しどきりとする。アイボリーのふわっとした帽子などかぶってにへらと笑って見せた。
うむ、鼻から血ではなく脳味噌が垂れ流れそうなくらい可愛らしい。
車の助手席のドアを開け、乗るように促す。


「あ、じゃあお願いします」


軽く一礼し、俺の前を通って車に乗り込んだ。
ふわりと薫ったソフトなせっけんの香りに、思わず頬を染める。夕暮れの赤が俺の顔を照らしていて本当に良かったと思う。


「じゃあ、行くか」

「はーい」








***





「わー、お洒落なお店だね」

どぎまぎしながら足を踏み入れる。菊の元で妹として生活して、素朴な毎日を過ごしている彼女はこういったところに来るのは初めてだと言う。
初めての食事がこの俺だと叫んで自慢したかった。

席に案内されて俺の向かいの椅子に腰掛ける。せわしなく尻を動かして辺りを見回す仕草は子供そのものだ。
静かな店内には時折、ウェイトレスが空いた席の皿を片付ける音が響く。
落ち着いた空間に逆に落ち着かないのか、メニューをさっさと決めてちらちらと窓の外を見ていた。


一日徹夜してマニュアルを完全読破した俺の脳味噌は働くことに限界を訴えてくる。
重労働だとは思うが何とか頑張ってくれと頼むが、神経を通して瞼に重みをかけることでボイコットしてきた。たまったものじゃない。


「どうしたの?眠いの?」
首をかしげて尋ねてくるの声にはっとする。

「いや、大丈夫だ」


食事が来る間話を弾ませなければ。話が弾まない人と一緒に居ても楽しく無いと書いてあったものだから俺は何とかして共通の話題を探す。


「あー………最近どうだ」

「うん、……………えーっと、何が?」

「まぁ…その、あれだ……生活、とか」

「ああ………えーと、」


なんだこの沈黙続きの会話は。マニュアルにこんな会話の仕方載っていなかったぞ。弾むどころか床に対抗するための空気さえ入っていない。


「まぁ、楽しくやってるかな。フェリもルートも遊びに来てくれるし」

「そうか」

「………」

「………」


あれ?今のって弾んだのか?


「…………あの!」


声をそろえてお互いに呼びかける。あ、どうぞどうぞとが発言権を俺に譲渡してきたので、有難く頂戴して話を続けた。

「映画は好きか?」

「え?ああうん、好きだよ」

「そうか、じゃあ今度観に行こう」

○○は好きか?と聞いたのに対し肯定的な返事が返ってきた時、じゃあ今度○○しようと誘えば相手は断ることはまずないらしい。
もその言われ通り幾らか嬉しそうにうんと頷いた。こうして食事の次に新しい約束をこぎつけられるのだ。マニュアル素晴らしい。





それから映画のジャンルの話などして食事を取り、マニュアル通りに話を弾ませることに成功した。





***


店を後にして車を出すと、車内で彼女は満足げに溜息をついた。


「美味しかったね」

「そういってもらうと嬉しい」


ハンドルを切って冷静に対応しているふりをするが、心の奥では羽ばたいていけそうな勢いで浮かれていた。





窓の外を流れる夜のネオンを見ながら背もたれに身体を預ける。奢って貰っちゃって、本当に有難うと申し訳なさそうに、それでも少し嬉しそうに言う。


「いいさ、お土産代は自腹だといったんだから」

「あはは、そう言うところはルートっぽいよね」


つられて俺も笑みを零す。
生憎俺の車内にCDというものは置かれていないので、小さくラジオが流れているだけだった。心地良いこの空間が終わって欲しくないと切に思う。
乙女のようだと自分を嫌悪していると、ラジオから女性の声で『こんな日は素敵な男性に誘われて一緒に食事したいですね』と聞こえてきた。
パーソナリティのもう一人の女性はくすくすと笑っている。
条件反射でを見遣った。ばちりと視線が合う。

恥ずかしくなって目を逸らすと、顔のほてりが凄く気になってきた。
彼女が今どんな顔をしているのかさえも把握できていない。


「あ…………、そ、そこひ左、だから」

「あ、ああああ、分かっている」


おぼつかないハンドル操作で左へ曲がる。心なしかアクセルを踏む足の力は強まっていた。




直に見えてくる菊の家。ほとんど進展が無いまま終わったが、これはこれでよかったと人生の糧にすることにする。



車を止めてドアを開けてやる。おずおずと出てきたを直視して息を呑んだ。
この後さらっと格好いい言葉を投げかけ、さらっと帰っていかなければならないのだが彼女を見て「格好いい台詞」を度忘れしてしまった。
情けないにも程がある。



「どうしたの?眉間に皺寄ってる」

「あー…その……なんだ、まぁ………」


楽しかった?嬉しかった?今度また映画を楽しみにしてる?何と言えばいい。脳味噌は必死に記憶を漁る。


「あ……の、ルート」

「っ、あ、なななんだ」


強く俺の名を呼んだはこちらに踏み込んだ。急速に距離を縮められ、どきりと心臓が跳ねる。


「きょ……今日は、たのしかった」


先に台詞を言われてますます困惑する。頭は一生懸命回転しているはずなのに空回りにしかなっていない。

記憶の回線は全て吹き飛んで、記憶の再生をたらい回しにしている。俺が死亡してしまうかもしれないじゃないか。


「ありがと!……え、え、え、映画楽しみにしてるから!」


相手も焦っているくせに言葉だけははっきりしていて、全部台詞を奪われてしまった。どうすればいいか分からない俺はただ彼女の前で硬直状態を続けている
だけで、


「今度は……その……。で、デートとして、行きたい、の」


まて。



まてまてまてまてまて。









口から言葉がでかかった瞬間のつま先が伸びて。




視界がでいっぱいになって。




鼻の中に石鹸の香りが蔓延して。





「……、!!」




頬を掠めたの唇を目が追うけど、顔はこれ以上に熱い。三半規管のぐらつきに伴い、足が立つという重大な任務をまっとう出来なくなってきている。
「……ルート」の顔も酷く赤い。それはそうだろう、普段ここまで積極的ではないのだから。
名前を呼ばれてびくりと身体を震わせ、握られていた手に目を遣る。


小さい手が、俺の手を強く握って離さない。


この意味が、その意思が、俺を更なる緊張へと追いやる。

「じゃあ、考えておいて」

小さな声で呟いて、小走りで家の中へ走って行ってしまった。

咆哮を上げる気持ちの芽生えを抑えて口付けられた頬を名残惜しく撫で、ほうと放心状態へ放たれる。





「……………どうする、」




どうする。


どうすればいい。











マニュアルよ、お前にこの問題が解決できるだろうか。





















おしえて!恋愛マニュアル







本当に大事なのは自分で判断すること