キッチンから奇妙な音ばかりが聞こえていたが、その割には小さなお菓子がお皿に乗って彼と共に帰省してきた。
運動でもしたかのような肩の上下と、発汗。キッチンでいったい何があったのか、とは聞けず、目の前に置かれたリンツァートルテを眺めた。
私のうちのお菓子とはまた違った雰囲気だ。目を見開いてまじまじと見ると、ローデリヒさんはくすりと笑う。
「そういえばリンツァートルテは初めてでしたね」
「ええ。中にジャムが入っているのですね」
「そうです」
紅茶を出されてひとくち口に含み、目が合った彼に微笑んだ。
マリアテレジアの件からしばらくの年月が経つ。
些か気性の荒かった彼も、今では穏やか過ぎるほどにまで落ち着いた。
まぁそれはそれでいいのだけれど、と考えながら一切れになったトルテを頂いた。甘い。
ふと目に入った彼の持つカップについてからかってやろうとひとつ、上唇を舐める。
「ローデリヒさんのそれ、お気に入りですか」
『それ』が指すのは、ふちに金の網目模様が入ったシンプルな白いティーカップ。あの頃から、ずうっと使っている。
彼はそれを見ながらああ、と呟いて「エリザベータがくれたのです。お守り、として」そう言った。
朗らかで明るくて、可愛らしいエリザベータさん。私なぞよりさぞ彼とはお似合いだろう。
頷いて笑って見せるけれど、口をついて出るのは小さな皮肉だった。
「羨ましいですね。固い、絆……なんて」
「ああ、いえ別に…そういうものではありませんよ」
「確かに、あの方はとても綺麗ですから」
正直私は自分の性格はあまり好きではない。箱入り娘として育った私は人の接し方を上辺だけしか知らない。
だから彼が他の女性の話をして優しく微笑んだとき、どう対処すれば良いか、どう対応すれば良いか、分からない。
後の言葉に詰まって俯くと、黒い髪の毛がゆるりと垂れてくる。ローデリヒさんはやってしまったと口を開き、ティーカップをテーブルに置いた。
細められた私の目を心配そうな顔で覗き込もうと前傾姿勢になる。
「ああ、…気分を害したならばすみません、けれど貴女はそんなに落胆するほどのひとじゃないと思いますよ」
焦った口調だ。面白くてつい泣きそうなふりをして慌てた姿を見たいと思ってしまう。
そのまま首を横に振って「いいんです。私が世間知らずな箱入り娘だから、人を困らせてしまうんです。ごめんなさい」
悲しそうに微笑む。完全に落ち込ませてしまったと思い込んだローデリヒは黙りこくってしまった。ふふ、困ってる困ってる。
笑いそうになるのを必死で堪えて、彼の顔を盗み見る。
何ともいえぬ顔をしている彼と目が合った瞬間、私の口から溜め込んでいた笑いが噴き出して来てしまった。
彼は私の落胆が冗談だとわかり、かあと顔を赤く染めて「!またですか!」ああ面白い!
私は大きな声を上げて笑った。
礼儀礼節を重んじる国家のお嬢様でありながら人の気持ちをもてあそぶような冗談をぶくさぶつくさと説教をもらし始めるローデリヒさん。
最近この遊びにはまっている私が何度も彼を騙している事、いい加減学習すればいいのに。
顔を赤く染めながら一生懸命に私を嗜めるけれど、頬の緩みは止まらない。
ひとしきり笑って深く息をつくと、不機嫌そうに私を睨むローデリヒさんの隣に腰掛けた。
にこりと笑って「接し方を知らない孤独な少女はこうやって気を引くことを覚えたのです」そう言うと、ローデリヒさんの眉間の皺が消えた。
代わりに、少し寂しそうな顔をする。視線を落とし、暫く何かを考えて、また私に視線を戻す。
「あなたは、孤独なんかじゃありませんよ」
「何故それが分かるんですか」
「それは、…その……………私、が、いるので」
途切れ途切れの言葉にまたも血液を再沸騰させるローデリヒさん。言葉に釣られて私も少し顔を赤くした。
おそるおそる近付いて手を差し伸べ、彼の頬に触れる。瞳は熱を持っていた。
「」
薄く開かれた唇が私の名前を呼んで、私は返事の代わりにその唇に喰らいつく。
薄い桃色の唇はリンツァートルテの味がした。
「あまい」
「御馬鹿さん」
そんな触れるようなキスだけで満足できると思ったら大間違いですよ。
そう言って後頭部に手を添えられ、悪戯に冗談をうたう私の唇を彼が塞いだ。