雨は、誰かが泣いているみたいに降ってた。




まるで誰かに悟られてしまわないように忍びながら、音も無く涙を零すように。

こんな雨見るの嫌いだった。

降るなら降るでざーっと降ればいいし、降らないならからっと晴れて欲しい。中途半端な雨に文句を垂れるのは俺だけじゃなくて、自転車で登校して来た奴等も同じ意見だった。ぶーぶーいいながら雨の中を走っていく姿を見つめながら、俺は優越感に浸っている。傘、持ってるんだぜーなんて自慢にもならないけれど。

弟は今日は委員会があるから遅くなるって言ってたし、一人での帰宅になる。
「お」
拾い水溜りに映る曇り空をぼんやりと眺めながら無駄に時間を費やしていると、帰省ラッシュの過ぎた玄関からぽつりと一人、が出てきた。

家も近くて仲の良い、いっこ下の。丁度いいからこいつとかえろうと、「!」呼んだ。

すぐにその声に気が付いて振り向き俺を見つけると、少しぎこちない笑顔で手を振ってきた。いつもと違う雰囲気に違和感を覚える。


「もう帰るのか?」
「うん、」
「傘は?」
「ないの」


「そうなの?じゃあ俺んとこ入ってけよ」
「ありがとう」


ビニール傘なんてあんまりいいもんじゃないけれど、と言いながらそれを広げて肩に掛け、を呼んだ。
がゆったりとした動作で俺の傘の下に入ってくるのを横目で見届けて歩き出す。


本当は知ってた。



こいつ、朝は傘持ってたんだ。









「中途半端な雨だなぁ」
「うん」
「どっかで雨宿りでもしてくか?」
「ううん」
「…………あ、今日ルッツ傘持って出かけなかったな。帰りどうするんだろ、あいつ」


の動きがさらに鈍くなるのを感じた。かまかけて弟の話をしてみたけれど、やっぱりあいつが絡んでるのか。
彼女はずっと無言だった。いつもどおりの明るいの面影をなくすように、湿気を吸った髪を垂らして項垂れ、静かに頷く。
俺の嫌な予感が見事に的中してしまったので、思わず顔を覗き込むことができなくなってしまった。
ただ前を向いて、ビニール傘に落ちてくる雨を受け止める。

それでも俺は気付いていない振りをして、を心配する。


「なんか、あったのかよ」
「いや別に、なにもないよ」


へらっと笑って返すだが、朝持っていた傘と弟が傘を持って出かけていない事実を目にしてやはりと悟る。こいつは委員会で遅くなる弟が一人になるのを待って思いを告げたに違いない。そう彼女は、密かに俺の弟に思いを寄せていた。最初にそれを知ったときはどうしようもない失望感で一杯だったし、今もそれを指示してやることはできないでいた。


だって俺は、のことが好きだったから。

今までずっと弟よりも会話をしてきたというのに、それでも勝てないことが分かってショックだった。諦めようという気は起きたが、それでも弟を妬んだ。

この表情だ、結果は目に見えている。


悲しそうに俯く。それほどに好きだったのだと考えるほど悔しくてたまらなくなる。
だけど俺のところに来いなんて、弱みに付け込んで彼女を手にはしたくなかった。


「……ルッツは、お前のこと嫌いなわけじゃねえから」
「………………」
「なんていうかよ、ほら……その、あいつも忙しいし、こう……まあ、」


励ましてやろうとしてるのに、何も言葉が出てこない。尻すぼみな言葉はそのまま雨音にかき消されていった。
は俯いたまま少しだけ頷いて、垂れた髪の隙間から見えた顔はぐしゃりと相好を崩す。抑えきれなくなった気持ちが溢れ出たんだろう。大きく息を吸って咳き込んだ。
その後から止まなくなった嗚咽は雨音を上塗りする。


悲しみしか、聞こえなくなる。


「ごめ……」
「いいよ。泣いとけ」

肩が濡れるのを厭わずに、のほうに傘を傾ける。だけど顔はびしょぬれで、手の施しようなんか無かった。
同じように彼女の心も土砂降りで、ビニール傘なんかすごくちっぽけな存在だった。


両手の甲で一生懸命零れてくる涙を拭う。静かに肩を揺らす背中さえ叩いてやれない俺。


心臓が潰れそうだった。

どうしようもないこの惨状に目も当てられないのと同時に、つけ込んでしまいたくなる自分を酷く嫌悪した。
傘を強く握って傘を食いしばり、俯く。目を閉じて視界を遮断する。

僅かに聞こえてくる泣き声を耳にしながら、彼女の家までの道のりが早く縮んでくれることを切実に祈った。






雨は、誰かが泣いているみたいに降ってた。

091202