本田先生の黒板の字は、他の先生より少し華奢。
文を書き終えたあととん、と点を打ったりしない。
抜けていくような仕草
流れるような指。
「じゃあ今日は・・・」
なんとも律儀に日付の名簿番号に質問する。
規則的で、当たる人はだいたいその日予想して何かしら答えを探しておく。
「さん」
「わかりません」
それが今日丁度わたしが当たる日だった。
わからない、とすんなり答えて見せると、本田先生は少し間を置いてから「分かっているでしょう、その顔は」と優しく叱った。
にんまりして、クラスの子から若干の笑いを貰い、問いに答える。
眉をごくわずかにひそめていた先生は「よし」と言わんばかりに目を伏せて頷いた。
ぺらりとノートを捲った音を聞いてから、私の後ろの列の人にまた質問し始めて。
答えを知っているであろうことを知っているのは、私が答えを分かっていても一度ではきちんと言わないことを知っているから。
んー、ややこしい文だな。
そうそうややこしいから。
ややこしいからこそ、私は一度きりで先生の要望には答えてあげない。
だって答え、簡単に言ったらそれで終わりだから。
つまらないから。構ってほしいから。
ねえ先生。
予習ばっちりで板書さえ写せばいいようにしてる理由はね、
そうだね、これも簡単には言わないでおこうかな。
授業の終わりには本田先生はよく私を「私の顔ばっかり見ててもなにも分かりませんよ」とたしなめていく。
よく見ると少し広いことがわかる背中が羽織った背広の真ん中を、ごすっとグーで殴って挨拶がわりにするのだった。
「はい先生、プリント」
「はい先生、じゃないですよ」
恨めしげな黒い瞳が私を取り込むように細められる。提出期限があるでしょう、といつも通り優しく叱る先生。
もちろん故意にだしてないだけ。私しっかり者だから!
「一日二日なら地球は滅びませんよ」
「さんの成績は滅ぶかもしれませんよ」
「またまた、テストの点数先生知ってるくせに」
「もちろんです。大変よいです。なら余計ですよ、なぜきちんと提出できないんですかねぇ・・・」
「わかりません」
椅子に座った本田先生は悩むような素振りをわざとらしくしてみせる。
さんのわかりませんは本当のわかりませんでないので信じません。
そんな信条くだらない、とくすくす笑う。
既に提出されていた他の生徒のプリントをとんとんと整え、整頓された机の右端にあるケースへ入れる。
流れに乗って自分のプリントを放り込むと、困った顔をした先生が親指と中指でくいとそれをつまみ出した。
にやにやしながら肩を手の甲で叩く。
先生の困った顔は私の感情の高揚を誘発するだけなのに、ね。
「駄目です、この紙はまだチェックをしていないので」
「遅れてごめんなさい。これでいいですか?」
「取って付けたように言いますね。パソコンのURLでないんですよ」
「なんだかそのたとえ上手ですね。意味はそういうんじゃないのに、コピペにたとえるなんて先生素敵」
「今のあなたの場合発言が全てコピペのようです」
うそつきってこと?と首を傾げると、私の阿呆面を真似るようにして本田先生も首をかしげた。
ちょっとむかついて、もう部活見回りでも行けば(文芸部兼写真部だけど)って言いそうになった私は思わず反対側に首を傾げ返す。
「どうぞ」
何のキャラクターか分からない柄のへんな判子を押された私のプリントは、みんなより遅く提出したはずなのに一番に返って来た。
「…………先生って甘いね」
「どうでしょうね。何故甘やかすかご存知ですか」
「…?わかんない。なんでですか」
プリントの端を握った両手がぐいと押しのけられる。
かかとの潰れていないきちんとした靴を履いた私の左足が一歩、本田先生ともとあったところから遠ざかった。
「なに?黙ってたら分からないです、言って」
首を振る本田先生に私は子供が大人にわがままを言うような態度を取る。
「いいですから、それ持って早く部活にでも行ってください」
「やだ。何でですか?わかんない!」
「答え、簡単に言ったらつまらないですよね?」
「………!!」
一生、提出期限守ってやんない。
2011.拍手