教室には居なかった。

そうそれは良くあることだけど、休み時間いつも机の上に置きっぱなしにしてあるペンケースがご丁寧に机の中に隠れてらっしゃった。しかも半分だけ。
頭隠さず何とやらってのを思い出しながら、ブレザー翻して屋上への階段を駆け上った。きっとあいつ、屋上だろうなって思ったから。

三段飛ばしなんて初めてやったけど結構、俺の脚でも届くんだな。

古いドアにぶち当たるようにしてノブを引っ掴み押した。フェンスの前で突っ立っているが目に入る。

あの表情は、空を見ているわけでもなければ景色を眺めているわけでもない。
意識は、もっと近くに置いてある。



「おい、!」



名前を呼ぼうとして喉に突っかかり、エクスクラメイションマークがスタートダッシュに走ってしまった。呼びかけに応じず、前を向いたままのの肩を強く掴む。
不機嫌そうに眉をひそめた彼女の顔がこちらに向けられたが構わず掴んでいた肩を揺する。


「本当にやんのかよ」
「うん」


至極普通に宣われた。の淡白さに思わず言葉を失う。はやると言った以上必ず実行して結果を出す奴だ、やりかねない。


何を言えば、何と言えば、は俺の言葉を受け止めてこの世に踏みとどまってくれるだろうか。
何をすれば、何をしてやれば、は此処に来たことを後悔してくれるだろうか。


「思い残すこととか、無いのかよ」
「無いよ」
「どうして無いんだ」
「無いほうが、飛べる」


嘲笑された。もう思い残すことは無いと言って自ら命を経つ、なんてドラマみたいじゃない?だって?冗談じゃない。
たくさんのものを遺して逝くことがどれだけ罪なことかお前は知らない。俺を、記憶を、思い出を残して去っていくなんて。


「私を理不尽に痛めつける拳や手が父の物であること、平気で嘘をついて番として暮らし、自分のことを棚にあげて自分を軽蔑する人間が母であること、」
平気で他人を傷つけて悲しんでる姿を楽しむ輩がいること、それを見ることしか出来なかった私のこと、心臓病で遠くへ逝ってしまった彼女にまだシャボン玉のセットを返していないこと、そんな不条理がいっぱいある世界。

そんな世界の何処に、どんな心残りがあると言うの。残りかすさえ全部消えて無くなり果ててしまえばいいんだわ、そう言って彼女はフェンスの向こう側を羨ましそうに見遣る。 


俺はこいつに何もしてやれなかった。

不幸の中に幸せを見つけてやることなんていくらでも出来たというのに、ためらいが、恥じらいが、俺の全ての行動意欲を消してしまったのだ。
それなのに彼女がいざ去っていってしまうとなるとき、記憶の背景として残れないことに不満を抱くなんて勝手だ。



もし此処で俺が、行くなといえたら。



もし此処で俺が、好きだといえたら。



かしゃん、と音がして、を見上げると彼女はフェンスに足をかけていた。スカートがめくれてはらりと太腿が露出する。酷く冷たい白さに、酷く儚い妖艶な肌に、思わず顔を赤くする。


!」

振り向いてくれなかった手さえ掴めなかった。
怖かったんだ触れたら全て崩れていってしまいそうで「…駄目だ」「どうして?」「どうして、って……」言葉は詰まって出てこない。


だけどはフェンスによじ登ったままの体勢でポケットをまさぐり、銀の十字のネックレスを取り出す。それを俺の手に強く握らせた。
彼女の手は酷く温かかった、「あげるよ」「は!?おいっ、これ…!」





は笑った。





ぐしゃぐしゃのえがおだった。





涙は、出ないのかなって、そんなこと考えてたらは俺の肌にするりと触れて優しくキスを、した。まるでアーサーが可愛いからわるいんだよって、責めるみたいに。



へへ、って笑って「なっ、あっ…!」







「じゃあね」








フェンスの上で思い切り膝を伸ばした、風を薙いで直立から急速に倒れてゆく空に向けられたその顔は酷くすがすがしくてそうまるであの青い空のようによどみ一つ無くて思わず俺は「           !」叫んで手を伸ばしたフェンスから飛び立った君はもう風と一つになって俺の声なんて微塵もきこえてない伝わってない届いてないいつもそうだったこちらに向けられる事の無かった意識は何かを見ていた何かを聞いていた俺なんて俺の存在なんて俺の声なんて周囲の騒音のひとつにしか見えてなかった聞こえてなかったんだだってそう現に今俺を目の前にして躊躇うことなく飛んだそして小さくなってゆく俺を見て優しく微笑んだまま飛んだ割りに滞空時間は短いそもそも俺たち人間が飛ぶなんて無理精々壮大なエネルギーを一方向から噴射して逆方向へ進行し落下を抑えるだけそれがなければみんなとべないどこにもいけないそう今の君は自ら行く場所を見失って自暴自棄で自分を大切にしてなかった寂しい奴だった悲しい奴だっただけど好きだった愛しかった傍に居たかったんだ






だけど、




俺はきみを、助けることは出来なくて。





ああ、ああ。


こんなのうそだ。





だってまだ、こんなにも唇はあたたかい。