朝起きたらもう彼はいなくて、窓から見た畑に小さな茶色い帽子が動いているのが見えたから、ああ働き者だなと感心した。
しただけだけどね。


もたついた足でフローリングを滑りながらキッチンに直行して徐に冷蔵庫を開ける。食べ物を探すけれど、そういえば暑くて食欲が無いのだった。
用が無いのに開けっ放しにしてはいけないと分かっていても、寝起きの肌に当たる冷蔵庫の冷たい空気が気持ちよくて思わず突っ立つ。静かなキッチンに叱る人がいないから好き放題だ。
存分に空気にさらされて冷蔵庫の中を温めたあと、満足してパジャマのまま玄関へ向かう。


彼のサンダルをつっかけて、倒れるようにドアを開けて、強い昼の日差しを受ける。
いきなり明るくなった視界と、さらに暑い外の空気に思わず目を細めた。裏庭の畑に続く砂利道を歩くと、夏の虫が私の足に踏まれないようにいそいそと足を動かして草むらに逃げていく。黒い小さな虫を足先でえいえいと苛めてあげると、ひっくりかえってこれでもかというくらいに手足をばたつかせて救難を求めた。
枝で足を持ち上げてそれごと遠くに投げ捨てるなんて、随分子供じみた行為だ。


庭に出ると、遠くのほうで小さく動く人影を見つける。強い日差しに目を細めながらその背中をゆっくりと追いかけて、熱を放出する土を蹴った。

「おぉ、はよ。なまえ」
「おはよう」
浅黒い肌につく水滴を拭って振り向いたアントーニョは、私を見て笑った。手袋に包まれた指が足元を指差して、「畑に来る時はサンダルはあかんやろー」と指摘してくる。自分のだとか、そういうことを叱らないところが好き。

「随分寝てたみたいやけど」
「トーニョの夢見てたよ」
「ほんま?」
「ほんまほんま」
「…嘘やろ、顔わらっとるで」
「ふふ」

深々とした緑の葉を掻き分けると、出てくる赤い実。
青臭いトマトのにおいが熱風と一緒に鼻に入り込んできた。ひとつよさげな実をもぎ取って、彼の持つかごに入れる。
そのかごには既に彼の採った赤々としたトマトがひしめき合って太陽の光をさんさんと受け、綺麗につやを輝かせた。

「きっと今年のトマトも美味いで!」
「そんなに食べられないよ。一日中トマト?」
「そや!親分が飽きないようにいろんな料理作ったるでー」


我が子を見るような目をしてそれを見下ろし、にかっと笑うアントーニョ。

まぶしいのは、トマトか、笑顔か。
目を細めた私の足はバランスを失い、ぐらつきながらかごを持ったアントーニョの首に巻きつく。白いタオルを巻いた首に巻きついた腕はさりげなく彼を引き寄せてぶらさがるように背中に顔を埋めた。

ひっくり返りそうになりながら声を上げている彼の汗のにおい。
こもった熱。麦藁帽子。


「危ないやろ!トマト落ちるところやったわ」
「…あついよぉ」
「……あついなぁ」


うだるような暑さに視界を白めながら、探すように彼に額を擦り付けた。不規則な私の呼吸にアントーニョは積まれたトマトからひとつ、大きな大きな粒を手にとって私の顔の前に寄越した。

「食べや」
「…ん…」
巻きつけていた手でトマトを受け取ると、それは水を含んでいて意外と重かった。
「トーニョ」
「暑いやんな?あかんわ、なまえ。熱射病なるやろ?麦藁帽子持ってき」
「うん」


アントーニョから離れて踵を返し、私の帽子がかけてあった位置を思い出しながら走り出す。
短時間で汗ばんだ肌に暑い日差しと風が当たる。帽子がないと、駄目だ。
しばらく走ったところで、ふたまわりほど小さくなっていたアントーニョが叫んだ。


「麦藁帽子と一緒に、下も穿いて来いやー!」


ふっと自分の下半身を見てみれば、晒された肌。太陽に丸見えの下着。先刻までのアントーニョの気付かないふりと、自分のしたことを思い出して真赤になる。
あまりにもはずかしくて、服を握りながら顔を上げると、アントーニョは私の顔をみて大声で笑った。
八重歯をむき出しにして片手に握った赤い実に噛み付く。
噴出すように出るトマトの水分が口の中を濡らし、ほどよい酸味が唾液腺を刺激した。美味しい。



「ばかあああああああああ!!!」



その一口かじったトマトを力の限り、彼にめがけて投擲した。回転しながらアントーニョに落ちていくのと、笑い声の次に出た叫び声を聞きながら再び走り出す。
青に飛んだ、赤いトマト。怒り声。
じきにロマーノだって起きてきて、彼と一緒に畑を弄るに違いない。だって窓から見てたんだもん!







快晴、夏である。



100724