あー、ごほん。

えー、お元気ですか。


………なんだよこれ、どうしようも無く堅苦しいじゃねえか………


ぐしゃぐしゃして、ぽいする。


よう!元気かい?

俺はばりばり元気だぞ!


…………嫌な奴思い出した………


ぐしゃぐしゃして、ぺいっする。



そこで万年筆は動きを止めて、混乱する頭の回線をショートさせた。
身体の奥から叫びたい衝動に駆られて、両手で頭を押さえて仰け反り「ああああああああああああ!」絶叫してみた。
家には誰も居ないので反感を買うことは無い。だけど痛々しくて、それに叫んだところでアイディアが浮かぶわけでもないので、脱力してその場になだれ落ちた。
後頭部を鈍く叩きつけて床に伏せる。天井で回るファンが絶え間なく回転し続けているのを見ていたら酔ってしまいそうだった。


は今出張中。

一週間ぐらい前から家を空けていてそんでもって俺は仕事しながら待ってて。
普通逆なんだろうけど仕事上あいつのほうが忙しいことがよくあって、飯なんか結構作ってやったりする。
全部まずいって不評だったけど。


「何を書きゃいいんだ」


机の上に置かれた白い便箋には何一つ文字が書かれていなくて、横たわった自分の周りには沢山の紙くずが落ちている。

一行書いてはやめ、また一行書いてはやめを繰り返しているうちに、とうとう自分の書きたいことが分からなくなった。
が「手紙欲しい」なんていうから悪いんだ。何書けばいいか分からないって断ったらあいつは平気な顔で「内容なんて何でもいいわよ」と返してきた。
だが折角の出張中の手紙、労いの言葉でも上手く書けないなら恥ずかしいから嫌だと言う。「アーサーからの手紙なら食べちゃいたいくらい嬉しいよ」


あの馬鹿読まないつもりだ。
くそ、山羊じゃねえんだぞ。



出張先での仕事はどうですか。
そうじゃない。

そろそろ冷えてきますが…
そうでもない。

何を伝えればいいんだ。何を知らせればいいんだ。

分からない。
口で言うのじゃ駄目なんだろうか。


考えるのが嫌になって書く作業を止めた。
だけど彼女に一週間あっていない事実は俺を寂しくさせる。寂しいよとか、早く帰って来いとか、そんな事が気持ちのままはっきり書けたらどんなに良い事か。
俺の脳味噌は一旦手紙の内容を切り離そうと必死だ。だけどこれを逃したらもう二度と手紙など書こうという気にならないかもしれないので身体で対抗してみる。
机の端っこに置いてある紅茶はもうきっと冷めているだろう。起き上がって飲み干す気力も無い。

風呂にでも入って気分転換しようかと考えながら寝転がってペンを回していると、顔の上で回転していたペンが消えた。

ばっと起き上がって振り向くと、万年筆を握ったコート姿のがしゃがみながらにこっと笑う。右手で一回転したペンは受け取られるのに失敗して回転を続けながら床へと落ちていった。
いきなりの帰省にぱくぱくと口を動かすと、はっと我に返り散乱した失敗作の手紙を大急ぎで集めた。


「なにそんな慌ててんの」

「た、ただいまぐらい言えよな!ったく…予定より早くないか?」

「そうだよ。だって予定より遅く伝えたもん」
こいつ。
「な…なんで、」

「ん?これなに?」


わざとらしく持っていた丸い紙を広げて「暖かな海は飴色をしているそうだ。俺はこの前、出張に行くお前の瞳の奥にそれをみつ」け、まで言われたところであまりにも恥ずかしいことを書いていたので自己嫌悪に負けての手にあるその紙くずをひったくる。再度ぐちゃぐちゃにして床に落として踏みつけて、最後にもう一度拾って
ゴミ箱に押し込んだ。は残念そうに口をあけたまま突っ立っている。


「ぶっ、ふふふ、なにいまの」

「しらねーよ。何だろうな」

「愛文?」
「違う!」
「遠くへ出掛けちゃった彼女にお手紙?」

「………うるさい。さっさとコート脱げ」


集めた紙くずも拾われないようにさっさと片付けてしまおうとの横を横切ろうとする。

強く腕を掴まれてその場に留まる俺の腰に巻きついて、背中に顔を埋めた。コートについた水が親指に付着する。
ぎゅっと力を込めた腕、ぐりぐりと俺の背中に顔を擦り付けて脱力し、はあと満足げに溜息をついた。握った手は指先まで冷え切っていて、思わず両手で擦ってやる。うふふくすぐったい、と後ろから笑い声が上がった。

小さな手の指に自分の指を絡ませて、ぐっと腰を折り曲げる。背中に乗り上げたが「ひゃー」と言いながら幼く足をばたつかせた。


「……ただいま」

「おかえり」

「寂しかった?」

「…………そんなもん、聞くまでもないだろ」

「手紙かいててくれたんだね」

「まあ間に合わなかったけどな」

「いいよそれで。じゅうぶんじゅうぶん」


面白い失敗作も見れたことだし!とふんと鼻を鳴らす。左右に身体を振って落とそうと試みたが、案外力が強かったので無理だった。
は腕を放してコートを脱ぎにクロゼットの方へ歩いていく。あっためてやろうかと、紅茶でも淹れてやることにしてキッチンへ移動した。
あ、と思い出したようには顔を上げ、楽しそうに笑う。


「今度また出張あるかもしれないから」
「またかよ」
「そのときは、ちょうだいね」



「………………ああ」



結局全然かけなかった手紙だったけれど、気持ちはなんとなく伝わったのだと思う。
「うん、美味しい」淹れた紅茶を口にして、冷えて真っ赤になった鼻を上げて笑う 。釣られて俺も笑ってしまった。
書くものなんてなんでも良いって言うけど、いざかくとなるとでてこなくなるものだ。饒舌な菊などより語彙の少ない俺は皮肉のレパートリーしか多彩でない。




嫌だけれどフランシスの野郎にロマンチックな手紙の書き方でも教わってこよう、と決意した。


091204