帰りが遅いから何してるのって聞いたら、受話器の向こう側から酒のにおいがしそうなくらいなの陽気な声が届いてきた。だから「あ今行きつけのバー。今ねー」間延びした説明が入る前に通話を切って携帯を乱暴に折りたたみ、溜息をついて家を出る。

今夜はきっといろんな意味で寝かせてはくれないだろうなぁと思いながら足早にバーへ向かった。





ドアを開けるなり強い酒の臭い。むっと顔をしかめながら店内をぐるりと見渡すと、は空っぽになった酒瓶を振り回して俺を呼んだ。変にライトが薄暗い所為で顔はよく分からなかったが、どうせタコみたいに赤いんだ。

近付いて分かったけど、隣に座っているアーサーも相当飲んだくってたみたいで目をぎらぎらさせながらこちらを見ている。
あーもう、これだから君たちは、と口にするけど、どちらも全くといって良いほど気にしていない。空いた椅子を持ってきての隣に座ると、もう酒の臭いしかしなかった。



「あーあああーあーあーいい気分。アルフレッドも飲む?」
「いやだよ。君を見る限りそれがどういう飲み物かだいたい分かるから」
「お前が早く来なかったら俺が介抱してやってたところだお」
「君はそこらのビッチでもひっかけてなよ。それとろれつ回ってないぞ」

は猫みたいに頬を俺のパーカーに擦り付けてくる。いつもだったら「これださい」とか「くさい」とか毒づいてくるのに。

「なんで電話切ったのよ。話途中だったのに」
「話を聞くより現状をみに行ったほうが早そうだったからさ」
「お前ら俺の前でイチャつくなよ!帰れ!」


アーサーが居心地悪そうに手で追い払う仕草をしながら俺とぐでんぐでんを遠ざける。どうせ俺は、とかそこまで言ってないのに一人でいじけ始めたもんだから、その涙もどうせ飲みすぎた酒が出てきてるんだろと放っておくことにした。すすり泣きはじめたアーサーを見て、は陽気にせせら笑っている。
もう収拾が付かなさ過ぎるので何もかも無視することにして立ち上がり、「ほら、帰ろう」と珍しく俺がまともみたいな行動を起こしてみた。

「あーん」立ち上がった際に芋づる方式で腰に巻きついていたが引き上げられる。手放した酒瓶が転がってアーサーの後頭部を穿つが、彼は泣くことに忙しくて全く気付いていなかった。


「君たち見てると酒が嫌いになりそうだよ」
「なによ飲んだことないくせして。なまいきー」


ぶよぶよ、お腹の余分なアレをわざとらしくつまみ上げる。いつもより甘えてくることが多くなるのと余計に毒づきが酷くなっている。腹が立ちそう(実際はつままれてる)のでそのまま引きずって帰ることにした。
出入り口付近でバーテンダーに心配されたが、あの眉毛に全部、という事で指を差すと、安心した表情になってまた自分の仕事へ戻っていった。

あとで怒られるだろうか。










「おお!夜!」

暗い道に感心するだが、その台詞からするといつから飲んでいたのか大体予想が付く。
2ヶ月に一度くらいは大いに酔って迎えを要求してくるので、もう随分と慣れた光景だった。
ヒールを仰々しいくらいぐらつかせながら石畳を越え、俺についてくる。


「まって」
「遅いよ」
「アルが早いの」
「君が遅いんだよ」
「もう。レディに優しくするとかそういうの、無いの?っあ、わ」


石畳の溝に運悪くヒールが挟まって、だらしなくバランスを崩したまま落ちる
派手な音を上げながら地面とキスをした彼女は暫く微動だにしないまま痛々しい空気に耐えていた。……ように見えたけど酒が回っている所為で自分が転んだことを理解するのに時間がかかっただけのようだ。
ゆっくりのっそり頭を上げて尻をつけると、「いだい」と鈍く呻く。

伸ばした小さな手が俺に向けられて、俺は少しだけ脚を戻してに近付いた。
何か言いたそうに口をぱくぱくと動かして、子供みたいに身体を揺する。


「なに?」
「おんぶ」
「君をおんぶすると次の日肩に歯型ができるから嫌だ」
「だっこ」
「君をだっこすると次の日鎖骨に歯型が出来るから嫌だ」
「おんぶ!」
「………生憎ヒーローの背中には夢と希望が託されているから満員だよ」
「マーマイト」


「………………………分かったよ。家までだぞ」


伸ばした両手を掴み上げて立ち上がらせると、痛がる素振りは無いので外傷はないようだった。
まあこの前みたいに思いっきりすっ転んで両膝にかさぶた作るよりましだろうと背中を向けてやると、満足そうな鼻息と共にが寄りかかってきた。
すいと持ち上げてタコを背負い、また歩き出す。んふふふふっふうとか鼻息をかけながら不気味に笑うに思わず畏怖の念を感じながら足早に帰ることを決意した。

「どのくらい飲んだんだい?」
「どのくらいだと思う…?」
「ホステス気取ってどうするんだよ。おぶられてるくせに」
「ホステスじゃないわ、ホスト」
「男役やる意味が分からない」
「おぶったのはアルだもん」
「おぶれって言ったのはだろ」

理不尽な文句にももう慣れた。ビルの角を曲がり、残りの一本道。ここに入るといつもは俺にセクハラを発動させてくる。耳を甘噛みしたり首筋を舐めたりうなじをなぞったりとあらゆる性感帯を刺激し、家までの到達を困難にさせるのだ。この前はそれで俺も転んでしまったので、今回そんな失敗はしまいと気合を入れて足を踏み出す。彼女は相変わらず背中の上で激しい幼児退行化を見せるだけだった。

「ねえアル。キス。キース」
「この体勢じゃ無理だよ。君がしてく…」

はっと気付く。これじゃあセクハラしてくれと頼んでるようなものだ。

「うそ!うそごめん!家帰ったらするから、さ、い今は……!」
「うっふっふっふっふいただきまーす」

何の躊躇もなく首筋に思い切り歯を立てた。酔っ払っている所為か力加減がいい加減で、痛覚に強い電流が走った。「う、っああああああああ!」いたい!顎を左右にスライドさせるのは反則!
ロデオみたいに仰け反ると、は面白そうに笑って調子に乗る。もうやだこいつ、と思わせる隙を与えない第二次襲撃が俺の方を苛んだ。服の上からでも分かる、『噛まれた』という感覚。身を捩って悶絶するしかない俺を面白がっているに覚えとけよチクショーとか言って走り去ってみたかった。悪役だ。

「はふふははふいふい」
「あ、ああ、顎を肩から離して喋ってもらおうかな!っく、いっだい、顎強すぎる」
「ふふー!んんんんんんんんん」
「ああああああああ!うあああああああ!やめろ!調子に乗るなよこのっ、うわ!」

けつまずいた俺は地面めがけて倒れていく。咄嗟に出した手が石畳について顔が地面とキスするのは免れたが重力と仲のよいは倒れた衝撃で重さが増して、肘が悲鳴を上げた。泣きそうだった。
「あ、あっぶ、ない…………」
の顎はまだ肩にくっついていた。

道の曲がり角から数人のサラリーマンが歩いてきて、腕立て伏せ状態の俺に平行にのっかったと俺自身を交互に見遣る。目を合わせたら終わりだと思ったのでそのまま俯いていると、目の前に紙切れが現れた。
よく見ると、チップだ。


「大丈夫かい。これ、気持ちだ。しっかりな」
「…………………………………………………」

チップまで渡されてしまった。
顔を上げると、俺だけを見下ろしたサラリーマンの顔は同情の気持ちで一杯の顔を俺に向けていた。
には一切そういった視線を注がれないのは元がいいからか?

「………………」
サラリーマンが去った後も俺はそこに腕立て伏せの状態でいた。
はすやすやと寝息を立て始めるし、生ぬるい風に俺の握ったチップが揺れるし、「………………………………………………………………もう二度と迎えに来たくない」


をずり下ろして一人で泣いた。涙はチップで拭った。



091215