黒くて長いのが自慢だった髪の毛はいつしか茶色に脱色されていた。
まっすぐに下に伸びていた毛先は不自然にうねり、遊ぶようにどこかを向いている。

眉の高さで綺麗に切り揃えられていた前髪も眉下まで降り、その下から覗く瞳を覆う睫毛には何かがたくさん付着していて、………そう、一言で言うと「誰や?」みたいな。


自信たっぷりに俺の前で仁王立ちする女は「ええ!?」と大仰に信じられないという顔を向けてきた。
何処の妖怪やねんってな爪をくっつけた指が自分を差して「私よ私!」って叫ぶ。
この前イタちゃんが引っ掛けてた女、とは違うし、ロヴィが引っ掛けてた女、とも違うし、俺が引っ掛け…いや俺は引っ掛けるような真似はせぇへんけどな、誤解やで。あ、そうじゃない。これ誰や、と海馬を勢い良く漁ってみるけれど誰だか思い出せない。


「この顔。覚えてない?」


覚える要素がありすぎるようでなさ過ぎる。ずいと顔を近づけられて匂ったきつい香水と、化粧品の香り。
混ざって俺の鼻の穴を刺激して、脳味噌が可笑しくなる。


ゴテゴテのファンデーション、何層下に地肌があるのかさえ分からないような厚みで塗られている。
白く塗られたその顔についた赤い唇が無駄に艶を帯びていて、水っぽくぷるりと動いた。
こんな顔、何処かで見ただろうか。




よ、



「    え 」



う。

わ。





「…えええ」


ロヴィーノに頭突きを喰らったときよりタチの悪い衝撃が俺を襲う。え?え?え?これが「え?」

ぐにゃりと三半規管がうねって平衡感覚が失われた。視界も歪曲して後ろによろけて、足を何とか踏みとどまらせるのがやっとだ。混乱がこれほどまでに人を狂わせるとは。

玄関先に立ち尽くした俺は、ノブを握ったままと名乗るその女性をもう一度見遣った。



「…………………嘘やん」


「ほんとよ!ほんと」


昔見た彼女は、こんなひとではなかった筈だ。

清楚な黒髪を揺らし、小さく笑って慎ましやかに相手と接する『女の子』だったのに、何時の間にこんな風になってしまったのだろう。
飾り気の無い性格で、凛としていて、そんな彼女を俺は好きだった。
髪を優しく撫でてやると、照れくさそうにはにかみながら笑うの面影はもう、無い。

ファンデーションで、アイシャドウで、全てを覆い隠すように。
しまいこむように、厚く。


「みちがえたでしょ?」

「まあ……」

「前までの私とは違うわ!」

「ケバなったなぁ」

「綺麗になったの間違いでしょ!」


ふんと鼻息を一つ。とりあえず入り、と動揺を隠せないまま家の中にを呼び込むと、大きくなったロヴィーノの脱ぎ捨ててあった服を見て目を丸くしていた。成長した姿を見ていなかったから驚くのも当たり前だろうか。

だけどそれは、がこの家にどれほどの間遊びに来ていなかったかを物語る。

少しも変わっていない家の中を見回しながら、「懐かしい」と一言呟いた。「だ」ろ、と言いかけたところで彼女のポケットの中からけたたましい携帯の着信音が聞こえてきた。そっちに意識を傾けてしまったをあきれ返った目で見ながら、食いかけのチュロスを口に放った。


指が握る白い携帯電話は、不思議なことに何の飾りも付いていなかった。

確か俺が覚えている中では、あれはフランシスが彼女にプレゼントしたものだったと思う。
は白で、シンプルなものが似合うって。そう言ってフランシスが彼女に送った携帯だ。
どうやら根っこは変わってないみたいだななんて少しホッとしている間に、は電話を終えていた。


「遊びに来たの。久しぶりに」

「ああ。ほんまに久しぶりやな。……フランシスは?」

奴の名前を出した途端不機嫌そうな顔をする。

「知らない、なにそれ」

「…え、知らないって、そんな」

「今頃女の子のケツでも追いかけてるんじゃないの」
「分かれたん?」
「とっくにね」
「なんで」
「魅力が無いんだよねだってさ」
「お前が?」
「他に誰が居るのよ」


とげとげしい口調で早口にまくし立てる。俯いた顔についた目を、長い長い睫毛が覆っていた。
彼に貰った携帯を握り締めて、ばつが悪そうに目を伏せる

昔彼のことを想っていたころは、ちょっと冷やかすだけで恥ずかしそうに頬を膨らませてぽこぽこと肩を叩いたりしてきたものだが、今はその欠片さえない。寧ろ逆に彼を遠ざけるかのような発言をする。
ああ人って、ひとつの出来事でこんなにも跡形も無く変わってしまうものなんだろうか。

だけど、携帯電話を見たら分かる。


はまだあいつのことを引きずってる。


それがどうしようもなくもどかしくて悔しくて、俺の気持ちも燻った。

「せやかて、そんな奇抜な格好せんでもええやん?」
「魅力が生まれるからこういう格好してるの」
「魅力って人それぞれやと思うで」

「違わないわ、男なんてみんなそう」


顔が綺麗だったら、胸が大きかったら、それでいいんだわ。
そう呆れたように吐き捨てたに溜息さえ出ない俺は、椅子に腰掛けた重い尻を微かに動かすことしか出来なかった。
携帯を机においてブラウンの髪の毛を指で摘み、毛先を弄ぶ。
不服そうな顔をしながら枝毛を探すの姿に言葉が出なくて、俺は思わず突っ伏してしまった。


「………あかん」

特に返事は返ってこなかった。

「…駄目やろ、そんなんじゃ」
「なにがよ」
「なにがじゃあらへん」


悔しいねん。
お前がすっかり変わってもうて、それでもあいつのこと引きずっとんのが悔しいねん。
そしたら俺の、この気持ちはどうしたらええの。

俺が最初にとフランシスがくっついた話聞いたとき、どれほど悔しかったと思ってんねん。


潔く諦めて、あいつとお前がずっと仲良くしていけるように、って。
変わらないままで、いてほしいって。
ずっと、願っていたはずなのに。



「…………………最低や」

「…わかってる」


涙声の俺に気付かないで、そう答えた。携帯を離す気配はなくて、机に乗っていた皿からチュロスを摘んでいた。つっぷした顔をぐりぐり擦って、涙が出てしまいそうになるのを堪える。


変わらないで、ずっとあいつと恋仲で居て欲しいと願っていた俺でさえ、今があいつから離れたことを知って自分の物にできるかもしれないと期待を持ってしまった。
そんな女の取り方は嫌だ。
だけれど俺はそれを望んでる。


があいつを捨てて、俺を見てくれることを望んでる。



「…………………最低や」




最低なのは、俺のほうだった。