果たして私は彼に恋心を抱いていたのだろうか。
(わからない)
数式よりも化学式よりも難しいんじゃないかな、と思いながらソファに座るフランシスの隣にうずくまる。


「うわーお」
お前はどこの古い深夜のテレビだよ。と思いながら私の格好をみてわざとらしく声を出すフランシスを無視した。
赤ん坊よろしくパンツ一丁です、と大の字で見せつけてやろうかとも思ったけれど、情事の後の気だるさを引きずっているのでやめた。


「服着ないでうろつくの好きなのって、なんなの?」
「あんたに言われたくないわよ薔薇股間野郎」
「まんまだねー。もうちょっと上手に罵れないの?」
「めんどくさい」


溜息をついたフランシスは椅子にかかっていた自分のワイシャツに手を伸ばし、中指にひっかけて取った。私だったら絶対に届かないだろう距離だった。
膝に顔を埋める私の背中に優しく放る。空気に触れてひんやりしたワイシャツはフランシスの香りでいっぱいだった。
そこまで裸を目にしたくないのか、と思ったら、憶測だけれど腹が立つ。

「ねえなんで服着せるの」
「なんでも」
「あれだけ早く脱がせた割にはそんなこというの?」
「ほら、前留めて?」
「どうして」
「どうしても」

まるで自分が子供のようだった。恥ずかしいとさえ思えない私は、首をかしげて相手の顔色を窺うように彼を見る。
決して目をあわさないその青を舐め取ってしまえば、あなたは私を前にしたって何も言えなくなるはずなのだ。

情事が終わればフランシスはいつものお友達に戻る。ついさっきまで熱い吐息を洩らしていたはずの相手は途端に色を変えてしまう。
腹立たしいような悲しさがいつもおなかを渦巻くけど「いや」って言ったってなにかが変わる訳じゃないから、言わなかった。
そんな私のもどかしさを知ってか知らないでか、いつまでも家から去らないと私の隣にいるはずの「君」の名前を出して攻撃してくる。
悪いことしてるのなんて分かってはいるけど私は反省する気もないし、彼だってそう、やめようっていったことなんかない。


「今日は帰りたくない」
「馬鹿だね。お前が帰らないといつも俺の家に電話がくるんだよ?」
「どうして?」

「どうしてどうして、なんでなんでって、お前ね。聞くばっかりで楽しい?」
「知ったら楽しくなるもん」
「だから…」

そういいかけて彼は口を動かすのをやめてしまった。突き放すのも上手いけれど、あんまりにもきついことをきつい口調で言える人じゃないことを私は知っている。きっと彼はいまそういう状況で、私はそれに甘えて依存している。自分が酷く自分勝手だと改めて感じられるくらいに、表情は穏やかだった。


「変化球投げられたんだろ?」

早く帰りなよ。

優しいな、と感じた瞬間に誤解をさせまいとする冷や水を浴びせるのが上手だ。すぐに現実が目に入ってくる。
憎たらしいけれどそれが最もなのだと、奥歯を噛み締めて自分の服を乱暴に掴み上げた。まるで彼を自分の肌から離すかのようにワイシャツを脱ぎ捨てる。それを見たフランシスは視界のはじで困ったように微笑んだ気がした。
さっき着せてもらったワイシャツをすぐに脱ぎ捨てるなんて、与えられた愛をあっさりと振り切るようで怖い。


さようならも言わずに出て行こうとしてから、さっきの彼の言葉がひっかかりふと玄関まで見送りに来てくれていたフランシスの方を
振り返る。
ゆっくりとドアはもう閉まり始めていて、「ねえ」優しく口角の上がった綺麗な唇が見えて「それってさ」

バタンと、閉まる。途切れる、遮断される。
曖昧になる。


『変化球を投げられた』なんてそんなこと、私の何を見てどこを見てそうだと思ったのだろうか。
おとといの夜私が「君」に抱かれている間の会話の中にあったひねくれた言葉。


「好きですか?」という問いに対して私が「好きじゃなかったことなんてあるか」と、そう聞き返した日。
いつも明るく笑うか落ち込むか、ちょっと怒るかしてはいかいいえを答えていたはずの「君」は、その境界線を指でなぞるように
消し去った。


「わからへん」




自分の口で言ってみる。理由はなかった。
帰路で出会った犬は私を一瞥してから、夕方の空に遠吠えを響かせていた。





110116
続きます。