マンチェスターが集合場所だとふたりは決めていた。

いちいち観光目的の格好をして私がわざわざユナイテッドキングダムへ来るのもそろそろ疲労的な面で検討したい。
はじめ低めのヒールでここまで来ていたものの、疲れるので今回はパンプス。地面にかかとがおりる感触が懐かしい。

昼の太陽に照らされたキャリーケースを手前に置き、もたれかかるようにして待ち人がやってくるのを待った。


しばらくして前方からスーツの男がニヤニヤと形容するのがふさわしい笑みを顔にくっつけて歩いてきた。
私こんな人まってたのか、と少し辟易しながら、もたれていた姿勢を元に戻して小さく手を振る。


「待たせた」
「待たせたことをわびるより毎回9時間の時差を持つ距離を越えてやってくる私の手間にわびて」
「それはできない」
「ケチ野郎」
「会って早々罵倒するなよ。わかってるくせに」
「で、今回の用件は」


人がいるのにも関わらずわざとらしくきょろきょろとあたりを見回してからとんとんと自分の頬をつつき「土産を頼みたいんだ」と一言。
私は少し笑ってから彼の頬とんとんを真似して「やっとなのね」と囁くと、慌てたように彼の頬をつついていた指が口元へ持っていかれた。「黙れ」といわんばかりのしかめっ面だった。
シナリオどおりに進めてくれ、と珍しく几帳面な彼に、事の重大さを少しだけ思い知る。


「…誰への?」
「俺の日本にいる友人。女性だ」
「なんでそこ強調するのかねえ。言わなきゃ買ったのに」
「言っても買ってくれるんだろ?午後にはロンドン向かうらしいし。の職場は俺らの職場の管轄内だし」

「あーはいはい黙れ還れ。偏西風にふかれた穏やかな気候に恵まれつつ還れ」
「度胸あるな」
「分かったわよ。何人?」
「16人」
「ええええええええ」
「ちょっと待ってくれ、今メモする」


おもむろに尻のポケットから取り出した白い紙に古臭いペンで殴り書きし始めるアーサー・カークランド。
ぶつぶつと名前を喋りながら思い出している間、女だけでもそんなに友達がいるわけないと笑いを堪えるのに必死で仕方なかった。


行く人行く人に目をやりながら、できることなら今すぐにでも一緒にここを出たいと思った。
国家に縛られて動けないかわいそうな彼を逃がしてやれるなら私はヒールをはかないダサい格好でもここへ来て道を手配する。
明日でそれが叶うのだとなると嬉しくて仕方が無かったが、反面、ここへ観光にこれなくなるのも確かで、少し寂しかった。

土に還らなきゃいけないような脳味噌を持っているのは私の方かもしれない。


「………イザベル、ニコラ…と。3、4……これでよし。うまそうな菓子でも」
「『おいしい』のが見つかり次第ね」
「おーおー」

アーサーもそれとなく嬉しそうだった。無意識だろうけどすごくニヤつきそうな口元のつりあがり方だったので、私は簡単に分かった。
スパイがこんなにも無防備であっていいのかと思うくらいだ。
きっと失敗して命を奪われることになっても、二人なら怖くないとさえ思える気がしてくる。

私、土に還りたい。



「じゃ、よろしく」
「よろしくされてやるわよ」
「行き先は?」
「ロンドン!あんた知ってるんでしょ!」

殴り書きの汚いメモを手に握り、「お昼休み終わるから」とあたかも普通の会社員のようにそそくさと駆けていったアーサー。
普段あの人がどんなふうにうわべだけの職場で仕事をして、どんなふうに裏でスパイの仕事をこなしてるかなんて分からない。
でもきっとこれからここを出て私は、アーサーをもっと知ることができるだろうと思ってやまない。

嬉しさを期待を胸に隠して、メモに目を落とした。


「…ステラ、エマ、エミリー…ヨランダ、オリヴィア、ユーナ…トレイシー、オルガ、ミラ、オリアーナ、レベッカ、レイチェル、オフィーリア、
 ウィニー…イザベルニコラ!ふうん、みんな可愛い名前じゃない」

ようやく全員の名前を解読した後、にんまりと一人で笑ったわたしはふと先刻『こんな人まってたのか』とニヤつくアーサーのことを
悪く言ったことを思い出した。

一気に冷めた。

くしゃくしゃにたたんで胸ポケットへ入れると、キャリーケースを引いて足を前に出す。

これから明日の私たちが遠くへ逃げることに成功するまでの時間、どうやってその先を紡ごうかを思い描こう。
ニヤニヤ、しないように。





20110612


(See you tomorrow in London.)