触れられなかった。


傍に居てほしかっただけ、なのに僕はどうしてもそれを伝えることができなくて、それは彼女がとっても強かったから。ガラスみたいに澄んだ綺麗な心を持っていたのが怖くて、尖っていたのが怖くて、切れそうで怖かった。


椅子に腰掛けて窓の外を見る横顔は鋭利で、僕はひとりぼっちのその子に近付きたくて左手を伸ばした。
目だけがこちらに向けられる。どくり、と心臓が一跳ねして血液が急速に身体中を巡り始めた。
「なに?」
冷淡な声で放たれるその言葉が三半規管を揺すり、脳を刺激する。マフラーの下の喉がごくりとつばを飲み込んで、緊張でしっとりと汗ばんだ手袋が覆った自分の手を引っ込めてしまった。
ひきつっているだろうか。僕は目を細めて口端を上げると、笑顔を作ってその場を繕う。


「………あのね、もう答えを出してほしいんだ」
「だから、さっきから出してるわ。私はあなたと協定を結ぶつもりは無い」
「たくさん力が必要なんだ。すこしだけでもいいから、さ」
「冗談じゃない」

自分の名誉のために他人の力を借りようとしないで。
釣りあがった目を向けてそう言った。

「私はだれとも繋がらない」

自分だって他の国から狙われている身なのに、誰にも縋ろうとしないその姿勢に見とれた僕は歪めてしまいたいなぁ、なんて、物騒な考えを一人巡らせてしまう。落ち着いて落ち着いて、腹の底にたまる感情を更に沈める。もしかしたら噴出してしまいそうだったから一呼吸置いて喋ろうと、返事はしなかった。


「汚れた世界に染まるのは嫌よ」
「もし汚れたとして、大切なものぜんぶ失ったとしたらどうするの?」
「そんな日は来ないもの」
「どうかな」
「絶対よ」

頑ななその言葉に焦燥を募らせた僕は、笑うことなくその顔に「その言葉、忘れないでね」と呟きを落とした。


その澄んだ綺麗な目に僕を映してほしかったんだ。
だから触れようとした。だけど、何度も会ってるけど、一度も名前を呼んだことも無ければ触ったことも無かった。
ガラスのような心に僕をすかしてほしかったんだ。
だから触れようとした。だけど、何度も話してるけど、一度も名前を呼ばれたことも無ければ触れられた事も無かった。


だけど触れられなかった。







その鋭利だった彼女が、凛としていた彼女がこつぜんと姿を消した日、僕は彼女の家に繋がるひまわり畑への通路を見つけた。僕より背の高い草の壁が道を覆っていて、狭い。ところどころを枝に引っ掛けながら進んでいくと、広い場所に出た。広い場所は一面の、ひまわり畑だった。
なつのにおいがする。

土を踏みしめて彼女に近寄ると、僕は静かな声で呟く。



「ぜったい一人で泣いてると思って」



彼女をすぐに見つけることができたのは、整えられた背の高いひまわりの下の方の茎に葉が付いていなかったから。小さな身体を丸め込んで、ふるふると震えている。声を押し殺して泣く姿は彼女が強がりなのを余計に強調していた。
ぼろぼろの布に身を包んだようなドレスは、今までのドレスと違って貧困さを表すようなもので。
僕はやっぱり、彼女は一人じゃ駄目だったんだって面白くなって、背中を向けているのをいいことに笑ってしまった。


「どうしたの?」
わかってるのにこんなこと聞いて。
「…………たす、けて」
お願い。

搾り取るような声での懇願、顔を上げると彼女の瞳から涙が零れ落ちていて、当たり前だけど悲しんでいた。
僕はその理由が分かるけど分からないふりをして首をかしげ、にこりと笑ってみせる。ひくりと喉を鳴らした彼女の相好は不愉快に崩れるが、今僕に楯突けばどうなるか悟っているようで、すぐに顔を元に戻した。

身体を僕のほうに向けて足元まで寄ってくる。薄汚れだらけの君は覚束ない手つきで地を這って、僕の長い服の裾を引っ張った。

「おねがい、」

双眸には縋るような期待を込めた感情がにじみ出ている。涙で濡れた頬はひきつっていて、ああもう領土としてやっていけないのは確かだなって、悟る。僕はそんな経験したことないから面白いだけで、何の感慨も沸かなかった。

ひまわりが一本、よろけた僕の足によってへし折れた。

「何でもする。仲間でも植民地でもいい、だから助けて」

顔はぐしゃぐしゃなのに、異様なまでに凛とした声だった。
僕は少し腹が立って、足を振って彼女の手を払いのける。案外あっさりと取れた彼女の手は芝生の上に埋もれた。

「虫がさぁ、いいよね君も」

鋭いガラスの面影は消えている。
「憎たらしいくらい」

俯いた君はぼろぼろと涙を零しながら自分の手で顔を覆った。強かったはずの彼女は誰かによって歪められてしまったみたいだった。この子を歪めるのは僕だったはずだと思っていたからすこし、残念な気もする。
僕は芝生の上に投げ出された彼女の小さな足が土だらけで靴も履いてないことに気付いて、しゃがみこむ。 
空気の揺れにも動じず泣くことを続ける彼女の頭を撫でて、「かわいそうに」わらう。

「お願い、助けて、力になって…………」
「嫌だよ」
でも、
「大好き、だから考えてあげてもいいかな」

顔を覆う手の甲に唇を落とした途端、嗚咽が止まって驚愕の表情が手の中から現れる。涙が頬で千切れて落ちる事をやめた。
そしてこれからの展開に、期待を寄せた目を向けて。


そんな愚鈍な君が大好き、僕はね。




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