World,






「きれいだろ」

目の前に広がる綺麗な青に釘付けのままその言葉に頷くと、視界の端で満足そうに溜息をつくイギリスの表情が窺えた。装飾に装飾を重ねた重そうな服の先端が揺れて、私の後ろを歩いていく。
静かに揺れる船の上ではもう、船酔いもしなくなった。
最初のうちは酔いが酷くて景色なんて見ないで寝てることばかりだった。数日振りの太陽と外界は予想以上に綺麗で、私は溜息も忘れてその景色に見入った。

小さなうねりを広げて波をつくっていく穏やかな海。そこに浮いた一艘の船の上に乗って彼と一緒に来るなんて考えても居なかった。

「ここ、俺たちが制覇したんだ」
「どうやって?」
「ん?……ま、いろいろとな」

言葉を濁すイギリス。私はその尻すぼみな会話をこれ以上追求することはしなかった。
本当は彼がこの海を征するにあたって何をしてきたかなんて知っていたから。ううん、いや。
海が青かったから、という理由にしておくことにする。

「すごいねイギリス」
「! だろ?そうだろ?ここの特別綺麗な場所だって、お前に見せるために取って来たんだ」
「ほんと?嬉しい」

笑いかけた私の顔を見て、少し照れながらもはにかむように目を細めるイギリス。でもグリーンに宿るのはきっと、嬉しさだけではない。罪悪感、征服欲、傲慢さ。
以前まではこんな彼ではなかったと私が肩を落としているのを薄々感じ取った彼は、この航海に私を連れてきて海の壮大さを見せ付け、この事実を正当化しようとしている。

スペインが泣きながらあいつを止めてくれと縋ってきたことも彼には内緒だった。
私は残念ながらスペインの話を聞いてあげることはできなかった。真っ赤な太陽に当たって生きてきた浅黒い肌に伝った涙は私には儚く見えなかったのだ。
なにより、イギリスが、私の心に棲みついているから。
どれだけ汚いことをしようとも、以前の仲間がこれだけ哀願してこようとも、わたしの心にこびり付いたものは剥がせなかった。
甲斐性なしだ。


「…きれいな海」


目に映るのは一面の青。
上も下も、みんな私を青ばっかりで埋め尽くす。
風に当たって膨らむ白い帆がコントラストをつくって、なんだか目が綺麗さのあまり零れ落ちてしまいそうな感覚に陥る。
潮風に当たりすぎると髪の毛が痛むぞ、とイギリスがくれた彼自身の帽子を被って日差しをも避ける。
街娘の格好で海賊帽なんてあまりにミスマッチな服装だったけど、どうでもよかった。

イギリスは自分の腰に刺さっている剣を抜き出して磨きながら、私の隣で幸せそうにしている。

「こんなに広い海初めてみた」
「そうだろ。お前、街娘だったから」
「うん。港から広がる海しか見たこと無かったよ」
「海は広い。海は世界だ。世界そのものだ」
「そうだね」
「こんなに広いなんて俺も最初はびっくりした。でも今俺はその海を、世界を、ものにしてる」

恍惚とした顔。剣の銀が太陽に反射して眩しいくらいにきらめいた。だけどそのきらめきに何の感情も湧いてこないのは、彼の心があまりにもすさんでしまっていることを実感させられたから。
潮風が苦しい。息が詰まりそうになるくらい、しょっぱくて潮っぽい気がした。
海は私たちを産み落とした偉大なる母なのだ。だからもしかしたら私たちの母という点では、わたしたちのものなのかもしれない。でも、「もの」じゃない。
海は、世界だ。
既存する大陸やずっと向こうの海は私たちがつくったものじゃない。既に存在していたということは、必ず何かが何かをしたのだ。
世界は、かみさまのものだ。

「イギリス」
「うん?」
「海は」

海は

「かみさまは」

海は、かみさまのもので

「どうして」
「……………?」

グリーンの瞳。映る私。感情の渦巻きが潮風に乗って帆を膨らませ、船をゆったりと進めていく。
讃えたい。彼を讃えたい。
だけど海はあなたのものじゃないよ。そんなジレンマで私はちぎれそうだった。
だけど確かに私はこの目で、スペインが涙を流して助けを求めてきたのを目にして、海はイギリスのものになったのだと実感したのだ。
そしてその事実を誰よりも喜んでいて、誰よりも悲しんでいる。

海は穢れちゃいけないところなのに。

「イギリス」
「なんだ?」

人の「もの」になってしまうことなんて永遠にあってはならないのに。

「イギリス」
「どうしたんだよ」

海から目を離して剣を押しのけ、イギリスの首に手をまわす。ぐらついたイギリスは脚を後ろに踏み込んでバランスを取ると、しばらくして私を抱き返してくれた。大分潮風に吹かれてきた所為か、服が完走してぱりぱりしている。それでも私は自分の胸に渦巻く罪悪感や高揚感をかき消すように、イギリスの胸元に顔を埋めた。何も言わず、拭い去るようにしてこすり付ける。

イギリスの吐息が旋毛にかかった。
あたたかかった。抱きしめ返してくれた腕は逞しかった。


「…他の海もみせて」


だから私は、彼を嫌えない。









神様のものでなくなっていた