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「そこ僕の席だよ」

にこりと笑って僕の椅子に座る髭面をたおやかに叱責した。思い通りの反応をして撤退してくれたので、まだ暖かさの残る座椅子にゆっくり腰掛ける。
あの人はしばしば僕の椅子に座って隣の彼女にちょっかいを出している。

「ねぇ、嫌だとか思わないの?」

そんな僕の問いかけに、小さな頭が振り向く。

「楽しい人じゃないですか。お話も面白いし」

笑った時目がきゅうと細くなるのは彼女の癖だ。無垢で淀みのないその表情は、答えに不満を抱く僕にとって苛立ちをいっそう募らせるばかりだというのに。今すぐにでもあの髭面を叩き潰して上げても良かった。椅子の下の足を組み換えて、なんとか感情が出てしまわないよう気晴らしする。


「よくそんなこと言えるよね。君はこれから僕たちに分割されるっていうのに」


ついこの前イギリス君が条約破って侵攻して、陥落させられたんだよねぇ。僕が分割しようよって提案したんだよ。意地の悪い言葉が目立つけど、これもみんな彼女のせいだ。
当の彼女はその言葉に、訝しけに眉をしかめた。

「ロシアさんは、いつも意地悪です」
「そうだね」
「どうして?」
「心がくすんでるから」

答えに納得している。面白い、これまで見たこともないくらいに気持ちよさそうな納得。

「可愛い子には意地悪がしたくなるのと同じように、可愛い占領地には酷くしちゃうんだよ」
「酷くしちゃうんですか?」
「うん」
「怖いことも?」
「うん」

アメリカ君が部屋に入ってきて随分と騒がしくなったけど、僕らの耳には雑音程度にしかきこえてこなかった。彼女は背もたれに大きく寄り掛かって溜め息をついて、呟く。

「怖いのは嫌い。だから、ロシアさんの領土にはなりたくないな」
「じゃあ誰の領土なら、なりたい?」
「フランスさん。格好良いし、優しいから」
頬染めなくたって良いのにね。

そんな姿を見てると、嫌でも怖いことしたくなっちゃうのが僕だって分からせてあげたくなっちゃうよ。
テーブルの上のコーヒーを啜る彼女には、僕の存在はあまりにも恐怖の対象からかけ離れているみたいだった。僕の隣にいてこれだけ無防備でいられる人なんて他にはいない。
誰に従うでもなく、不満をぶつけるでもなく、ただ自分の身がこれからどうなるのかという話に自ら耳を傾けている 。どうして?出されたコーヒーに毒が入っているとか、僕たちがどれだけ酷い扱いをするかとか、考えないのだろうか。

ちらちらと下火を燃やし続ける嫉妬心が視界を歪ませる。イギリス君とアメリカ君がいつもみたいに言い合って、それにフランス君が加勢して、ヒートアップしてるのがぼやけて見える。
彼女もそれを見ている。でも笑顔は無い。


「ねえ、僕が怖い?」
ぼやけた顔が振り返った。
「ちょっとだけ」
「どんなところが?」
「いつも笑ってるところ」


つかめない焦燥感が煮えたぎった。疼き出す身体を押さえることができなくなったとき僕はこの子をどうするかわからない。下手をすればこの子は領土ではいられなくなってしまうかもしれない。
この小さな肩。怯えていないようで、実は少し踏み出すのを躊躇うみたいに様子を窺っている顔。征服欲を駆り立てるには十分すぎる要素だった。肝が据わっているから言いたいことは言うし、聞くことは聞く。それが仇になるんだよ、なんて僕は言ってあげない。


「すきなの?誰かに従わされること」
「いいえ」
「きらい?」
「嫌い、というか…ま、どちらかと言ったら嫌いですけれど」


自由がなくなるのはいやだ。
私がなくなってしまうのと一緒だから、だから従わされて生きるのは嫌だ。
そう首を振った彼女は「いつか独立して綺麗な国、作るのが夢です」と僕の会議の資料の裏に無断で落書きをし始めた。細い指が綺麗な建物を大まかに描いていく。芯が紙の上を擦る音が僕の耳に届く。

無邪気に絵を描く彼女の姿は子供さながらだ。奔放なその態度と、コーヒーをすする様子はあまりにもギャップがありすぎる。それとそのコーヒー、僕のなんだけどな。
紙一杯に大雑把な絵を描いて見せてくる彼女。にこにこした顔のほうが絵になるんじゃない?といってあげたかったけれど、怖いと言われていい気はしなかったので仕返し代わりに頷いてあげるだけにした。それでも彼女は満足げだった。
僕にないものを持ってるから、素敵に見えた。



「………みんな話が進まないみたいだし、ちょっと休みに行こうか」
「いいですけど、いいんですか?あの人たち」
「いいよいいよ、いつものことだから。ちょっと遠くまで遊びに行こう」
「へえ。何処、連れてってくれるんですか」
「うーん。どうしようかな」


誰も知らない秘密のひまわり畑、君だけ内緒で連れて行ってあげるよ。
彼女は嬉しそうにこくんと頷いた。








ぼくだけのもので、