Monde,





「それで、今日の議題なんだが」


バリトンの声がそういって散漫になっていた皆の視線を集めた。皆と言っても、私を含めて四人しかいないのだが。
声の主であるドイツが手にしている資料の上で、彼は無意識に指を踊らせていた。会議が進まないことに少し苛立っているのだろう、と心のなかで一人納得しながら無機質なテンポを刻むごつい指を眺めた。

「だからこの配役には意味があって、その役は本田にしかできん、ということだ」
「なるほど。じゃあこの間イタリア君は何を…」

菊兄さんも真面目に話を聞き始めた頃、私の横にいたイタリアはうつらうつらと首をもたげ始めた。
ドイツに怒られないように必死に目を擦っている。
そんな会議中の狼藉を叱咤すべく、ドイツに気づかれないように机の下からイタリアの腿をつねくってやった。垂れかけたよだれを綺麗に吸い込んだイタリアが「あぎいいぃいいぃぃい!!」と絞られるような声を出して飛び上がる。
ドイツも兄さんも、心底驚いた顔をイタリアに向けていた。イタリアの腿をつねくった犯人である私は知らんぷりして平然とお茶をすすっている。


「な…何だイタリア」
「いや、…な、何でもない…」
「どうしたのイタリア?会議は落ち着いて臨まなきゃだめよ」
「……」
「そんなしょげたかお顔しないの!」


ドイツもうんと頷いてもう一度きちんと目を通せと資料を叩いた。大きな手だけでも威圧感があるらしく、イタリアは何度も首を縦に振る。眠そうな目を擦りながら紙面を綴る字を必死で追いかけている。
そんな風に振る舞うイタリアだが、どうせ会議の内容などさっぱり聞いていないのだろう。

溜め息を吐いていると、ドイツが小さい声で私の耳に「実は起こそうと思っていたところだ。すまない」とささやきかけてくれた。
驚いてドイツの顔を見上げたが、彼は既に視線を資料に戻していた。ささやきかけてくれた時の顔をふと思い出してみると、微かに笑顔だった気がする。いかつい相好を崩して目を細め口元を小さく上げるドイツの表情は普段目にかかれないので、かなり驚いた。向こうも恥ずかしかったのだろう、すぐに顔を逸らしてしまったが。

だけど、そんな照れ屋な彼が私は好きだった。

胸が暖かくなるような空気に包まれて、会議中だというのに思わず顔を綻ばせた私。


(ああ、いいなあ)


私事でも、こんな風に自分に向かって笑いかけて欲しい。その顔を私に向けて欲しい。

「本田なら、あの眉毛に説得できるかもしれんしな」
「そうですね…考えてみましょう」
「私はどうしたらいいの?」
「ああ、お前は…」

私の目の前にある資料にドイツのごつい指が乗っかってきた。彼の考えた戦略で連合軍と立ち向かうつもりのようだ。はきはきした口調で分かりやすく私に作戦を教えてくれる。時たまペンが私の紙のあいたスペースに図まで描いてくれて、私もうんうんと頷きながらその話に耳を傾けた。
いいな?ときかれて顔を上げると、彼の真面目そうな顔にどこか優しさを混ぜたような表情が私を見ていた。

「あ」どきりと心臓が跳ねて、先刻の二人だけの意思疎通に浮かれていた私の血液が血管を押し広げていく感覚に捉われる。
きれいな整った顔立ちの、いかつい顔が私に微笑んでいる。
ああ、こんなふうにふたりで笑いあうことがきたら、と目を伏せて紙の上を滑るペンの先を見下ろした。

「…ドイ…」

ふと顔を上げると、もうそこにドイツの笑顔と優しい雰囲気はなくなっていた。いつものように眉間に皺を作り、目を細めて睨む形で私の隣を見下ろしている。
私も釣られて横を見た。
やっぱりというか、もう分かっていたことというか、机に突っ伏したイタリアが資料に涎を垂らしながら夢の世界にリターンしている姿が目に飛び込んでくる。

「イタリア!!!」

ばーん、と掌が顔の前の机を叩き付ける。風ができるほどの威力に飛び起きたイタリアが涙目を隠すようにぎゅっと目を瞑って敬礼し、「寝てません!」。ドイツの顔が余計怖くなる。
それからペンは私の前で倒れて、目の前からドイツは居なくなって、代わりに隣が大変なことになって、私は静かに座っていた。
菊兄さんは、困っていた。

折角こんなことにならないようにって私が起こしたのに。


「…………はぁ」

特に怒ることも悲しむことも出来ず、ドイツがイタリアを叱っている間私はずっと、ドイツの書いた棒人間に落書きしていたのだった。





くずれるより先に崩壊していた